日達上人の本意

簡単に分かる顕正会の誤り

前回は少し話がずれてしまいましたが、

 

正本堂は現在においては御遺命の戒壇では無いが、広宣流布後は御遺命の戒壇になる建物である。」このような認識が当時の宗門内に強く浸透してしまっていた…。

 

これに関して掘り下げて考えてみたいと思います。

 

平成16年日顕上人御指南

 

平成16年に顕正会は諌暁書として「日蓮大聖人に背く日本は必ず滅ぶ」を発刊し広く配布いたしました。

 

それを受けて当時の御法主上人日顕上人猊下は教師講習会において御遺命の戒壇についてご指南下さったわけですが、その中にこの問題について触れた部分がございます。

 

 

そこで、四十五年四月六日の虫払大法会における『三大秘法抄』の戒壇についての御説法があるのですが、これは日達上人の御本意をお示しになったものだと、私は思うのであります。虫払大法会の説法ですから長い御説法でしたけれども、趣意は「『三大秘法抄』の戒壇は御本仏のお言葉であるから、私は未来の大理想として信じ奉る」ということをおっしゃっておるのです。要するに「未来の大理想」だから、御遺命の戒壇は未来のことだということです。

 

そこで、これは先程言い損ねてしまいましたが、正本堂がそのものずばりの御遺命の戒壇か、そうではないのかということが一つの問題なのです。学会は妙信講の攻撃をうまくかわすため、今はまだ、そうではないと言うのです。ただ、このところがおもしろいのですが、今はそうではないけれども、将来その時が来れば、その建物になる。つまり結局のところ、正本堂自体は将来において『三大秘法抄』『一期弘法抄』の建物となるということです。それ以前には、正本堂はまさに『三大秘法抄』『一期弘法抄』の戒壇そのものずばりでなければならないと、学会の教学部も池田自身も言っていたのですが、この時点で学会は一往、そこまでは譲ったのです。だが、色々な面で引っ込んではきたけれども、最後の不開門を開く時、つまり儀式の時とか、あるいは本門寺に改称する時には、やはり正本堂自体が『一期弘法抄』の戒壇になる建物であるということは絶対に譲れない、というのが学会の方針だったのであります。けれども一往、今はまだ、その意義を含んでおるというような在り方なのです。

 

しかし、私どもはそうではなく、日達上人の御説法を拝すると、未来の大理想として信じ奉るということだから、あくまで未来なのです。つまり『三大秘法抄』『一期弘法抄』の戒壇は名実ともに未来であるが故に、正本堂はそうではないというのが御説法の内容であります。したがって、たしかに広布の相から言って『三大秘法抄』『一期弘法抄』の意義を含むということはあっても、その建物がそのまま『三大秘法抄』『一期弘法抄』の戒壇となるのは未来のことで、確定的ではないという意味で宗門は考えたいと思っていたし、また日達上人もそのようなお考えであらせられたと拝するのであります。その辺のところが非常に微妙だったのです。

 

(大日連 平成16年12月号 33~34ページ)

 

このご指南を拝すると、「正本堂は現在においては御遺命の戒壇では無いが、広宣流布後は御遺命の戒壇になる建物である。」との認識は学会が主導して浸透していったものであり、日達上人の本意はそこには無かったことが分かります。

 

そして、この事実は浅井さんの言葉でも裏付けられるのです。

 

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「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」より

 

浅井さんの書である「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」には以下の記述があります。

 

問い詰められた細井管長は

「実は、あの訓諭については、まずい所がある。後半の『即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり』という部分はまずかった。あれでは、最終の戒壇を前以て建てたことになってしまう。その前の部分の『……現時における事の戒壇なり』で止めておけばよかった…」

 

(正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む 75~76ページ)

 

と、このように日達上人が申されたと証言しております。まさに日顕上人の御指南とピタッと一致するわけであり、日達上人も正本堂を御遺命の戒壇では無いと認識していたのは間違いないわけです。

 

ここまで理解できればあとは簡単です。御法主上人が正本堂を御遺命の戒壇と認めていないならば、日蓮正宗が御遺命破壊をしたという誹謗は的外れ以外の何物でもないのです

 

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御法主上人とは

 

 

顕正会員さんは日蓮正宗内部のことについてほとんど知りませんから、御法主上人といえども“単なる一番偉いお坊さんだ”としか認識していないと思います。しかしながら、大聖人様の仏法においては唯授一人の血脈を御所持される御法主上人という存在は特別なものであり、誤解を恐れずに言うならば「現代における大聖人様」であり、「大聖人様の仏法そのもの」、「日蓮正宗そのもの」なのでございます。

 

 

つまり、法を習い伝える使命を受けて内側から御宗門を支えるお弟子さん方(日蓮正宗の御僧侶方のことです。)においても、また外側から御宗門を護っている檀那衆においても、全ては御法主上人から教えを乞う立場であり導かれる側なのです。

 

 

ですから、それらの人たちがいくら正本堂を御遺命の戒壇だと言っても、御法主上人猊下が一言「それは違う。」と否定したならば、日蓮正宗の公式見解は「正本堂は御遺命の戒壇にあらず!」になるのであり、ゆえに日達上人の御言葉に正本堂を御遺命の戒壇と決するものが存在するのか否かが一番の大事になってくるわけでございます。

 

 

それを前提にして昭和45年の『「正本堂」に就き宗務御当局に糺し訴う』を見ていくならば、その趣旨は「日達上人におかれては正本堂を御遺命の戒壇ではないとしているのに、僧俗こぞって「正本堂こそ御遺命の戒壇」と騒いでいるのはおかしいのではないか?」との問題提起になっているのです。

 

 

ようは御法主上人が正本堂を御遺命の戒壇と断定しないかぎりは、その他の僧俗がいくら騒ごうとも日蓮正宗が御遺命を破壊したとはならないのでございます。

 

 

そういった点を顕正会員諸氏には改めて認識していただきたいと思います。

 

 

 

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結論

 

このように「御遺命の戒壇を前もって建てておいた。」という認識は学会の思惑以外の何物でもありません。

 

たしかに大多数の僧俗はその認識に乗っかってしまっていたのは事実でしょう。

 

しかしながら御法主上人である日達上人はそれを認めてはいなかったのです。

 

学会を慰撫教導する上で訓諭にはそういった文言を盛り込まれましたが、本意はそこには無かった。ゆえに浅井さんは昭和48年、昭和49年の二度にわたって御開扉を受けたいと登山申請をしたのです。

 

顕正会員諸氏はこれらの文章でそこまでを読み切らないといけませんね。

 

 

たぶん皆さんの頭の中は混乱していると思います。

 

 

その複雑にこじれた糸を丁寧にほどいて差し上げますので、正しく大聖人様の仏法を信仰したいとの想いを抱いている方は是非ともご連絡下さい。

 

 

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