平成3年1月6日 全国教師指導会
ただいまは、総監、教学部長からそれぞれの趣旨において話がありました。
最近、色々な面で宗門と学会とが不協和音以上の残念な形が起こってきております。これは、やはり組織の一番根本の中心者が起こしておるところと私は思います。そこから、組織を非常に巧みに活用しながら、また、聖教新聞等の武器を使いながら、だんだんと末端にまでその徹底を図っておるようであります。どうぞ、やりたいことは勝手にやってもらえばいいと思うのです。ただし、それが本当の仏法の正義か否かということが問題である。
どんなことをやってみても、本当の正義に逆らっておれば、必ず間違ったことは間違った結果として出てくるものと私は確信しておりますから、今、どのようなことを騒ぎ、やっておっても、私の気持ちは冷静でありまして、そこに不安感とか、そういうものは本当に全くないのであります。とにかく正しいことを正しく行っていくことが大事である。
ただ、それにつけても特に私が常に心を痛めておるところは、そのようなことをただ上から聞くだけで、どう判断していいのか、ただおろおろとわけが解らないでいるであろう、今まで真心をもってお寺へも参詣していた人達の信心であります。この人達の信心は本当に僧侶が、何とか正しい方向に導いていただきたい。そして組織の上から流されてくる誤った、曲がった色々な指示に対して、正法正義の正しい信心を忘れないで、どこまでも信者としての行学、信行に勤めていただきたい。その人達の信心の尊さが永続されることを日夜、心から祈念をしておるものであります。
どうぞ皆さん方も、お寺に来る人達の尊い信心を少しでも正しい方向に向かって目を見開かせ、もし間違ったことを聞いて、それに執われておる人があれば、その目を見開かせるような努力をし、また、惑っておる人には力づけて、この信心を絶対に捨てることのないように励ましていってもらいたいと思うのであります。
先程から色々と説明があり、聞いておりましたけれども、具体的な問題については、まだ私からも皆さん方に対して言いたいことがたくさんあるのです。しかし、そのようなことについては、今日は私は触れません。
ただ、このような問題は、ただ現在の状況だけを見ておりますと、やはりそこに何かわけの解らないものが出てくると思うのです。例えば、先程からの話によっても、名誉会長が色々な面で私を批判したり、宗門を軽視したりということが、最近、特に激しくなってきておるということですが、皆さんは聞いていて、「それが唐突として起こってきたということになるのだろうか」「その原因は何なのだろう」ということが、あまりはっきりしないと思うのです。どうしてこのようなことが起こってきたのかということであります。
これについての私の見解を一往、ここに申し述べて、今日、お集まりいただいた皆さん方の信心、乃至学解の上からの良識に訴えて、お考えをいただきたいと思うのです。
それは、非常に大事な宗門の教義、信条の根本である三大秘法の意義、内容に関すること、それと正本堂との関係が一番根本になっておるような感じがいたしております。申すまでもなく、大聖人様の血脈相承の一つの顕れた相伝の形として『一期弘法抄』という御書があります。
「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中我が門弟等此の状を守るべきなり」
(全集一六〇〇ページ)
これは、根本的な大聖人様から日興上人への御付嘱の文であります。特にこの中で大事なことは、「国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」という所です。たしかに戒壇建立の条件であります。この文を今日的な意味において、どのように拝するかということが、やはり非常に大事なことなのです。
それからもう一つは『三大秘法抄』の戒壇の文であります。御承知のように大聖人様は、宗旨建立の時から南無妙法蓮華経をもって三大秘法を一切衆生に弘通あそばされた。そして三類の強敵が起こって法華経の身読をあそばされ、その佐渡の時期から特に本尊をお示しになり、ですから『観心本尊抄』等の御指南も拝せられるわけで、そこから本尊の顕示が始まり、そして弘安二年十月十二日の戒壇の御本尊様の御顕発となるのです。それと同時に、日本乃至世界を真に救うべく御遺命あそばされたのが、その戒壇の御本尊様を安置しての戒壇の建立ということでありました。これが先程の『一期弘法抄』の御文でもある。
その『三大秘法抄』に初めて戒壇というものの相貌を明らかに示されたのです。あの四百余編の御書の中で戒壇の相貌をはっきりお示しになったのは、皆さんも御承知のとおり『三大秘法抄』だけであります。いわゆる「戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり、三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下して給うべき戒壇なり」(同一〇二二ページ)
という御文であります。この御文を戒壇建立のはっきりした条件として、我々は昔から拝してきたのであります。
しかし、正本堂建立において日達上人が池田名誉会長に対して「会長、もう広宣流布だな」と、ある時、おっしゃった。それを受けて池田名誉会長は「もう広宣流布なのだ」と、いわゆる「本門戒壇建立の時なのだ」と信じた(昭和四十三年十月、正本堂建立着工式の挨拶)のであります。しかし、日達上人のお言葉はもっと広い意味での「広宣流布」ということをおっしゃったと私は思います。ですからその後の御指南等においても、明らかに『三大秘法抄』『一期弘法抄』の戒壇が正本堂であるということは、そのものズバリの形でおっしゃってはいないと思うのであります。(ただし、その後猊下より「昭和四十三年十月以前に、正本堂につき『三大秘法抄』『一期弘法抄』の御文意を挙げての日達上人のお言葉があったので訂正する」旨、仰せ出だされました。)
その後、色々な問題も起こりましたが、結局それによって、当時としての在り方でしたけれども、宗門として一つの定義(日達上人御指南)が出来ました。これは皆さんも承知のとおり「正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり」(昭和四十七年四月二十八日・日達上人全集二輯一巻―三ページ)
というものでした。これは、『一期弘法抄』等の「意義を含む」ということは、その意義の全体が現れたということではないのが明らかであります。ですから、まだその意義の全体が現れるかなり手前の形において、分々の上においての意義が現れたということです。また、その次の文にも「現時における」ということが示されておりますから、この文も『三大秘法抄』『一期弘法抄』それ自体の全体の意義が現れた、そのものの戒壇として正本堂があるのではないということであります。
それから次に
「即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」(同ページ)
という文がまた続いています。これも「たるべき」ということは、皆さんも文法は御承知でしょうから私が言うまでもないが、「たる」とは相応とか、ふさわしいとか、それに当たるという意味であります。「べき」ということは、推量の助動詞でありますから、したがって推し量るということなのです。考えれば、ということであります。それはそのまま、予想であります。あらかじめ思うということです。予想はすなわち予定ということにもなります。将来こうなりたい、したい、そのような意味であります。したがって「予定は未定にして確定にあらず、しばしば変更することあり」という文もあります。ですから一往、そうは思っても、将来において変わる場合もある。
よく日達上人も「不毛の論」ということをおっしゃったことがありました。「そのような先のことは判らないから、一往、今は『その意義はある』ということを言うけれども、しかし将来のことは判りはしない。あるいはもっと大きなものが必要になるかもしれないではないか」ということを、皆さんも聞かれたことがあるでしょう。ですから、あくまで「そのものズバリの戒壇ではない」と私達は考えております。
だから私は登座以来、この問題についてはひとことも触れませんでした。これは、私が色々な考えをもって、「こういうことは簡単に触れるべきものではない」と思いまして、ですから今までの私の十一年間のあらゆる所における発言において、この問題に関して、はっきりと触れた所は一ヵ所もないはずであります。今日、初めてここで申し上げるのです。
けれども、この問題に関して池田名誉会長は、昭和四十三年の正本堂着工大法要の時に『三大秘法抄』の文を引き、
「この法華本門の戒壇たる正本堂」(大日蓮二七三号巻頭)
とはっきり言っております。すなわちこれは『三大秘法抄』の戒壇がそのまま正本堂であるということを言ったのであります。そのほかの所においても、ほぼそれと同じような意味において述べております。先程申しました、信徒一切を含めての宗門の公式発表である「正本堂は現時における事の戒壇」という意味と非常に違っておるのであります。
皆さん方は、正本堂が本当に『三大秘法抄』『一期弘法抄』のそのものズバリの戒壇なのだと思いますか。大聖人の御指南にあるところのそのような状況、そのような大聖人の御聖意がはっきりそのまま正本堂に具わっておると思われる人は遠慮なく手を挙げてみてください。あとで「駄目だ」などと言っては駄目ですよ――。では一人も思っていないわけですね。そう思ってもいいのですか。(ハイッ。)返事がありましたね。
それならば、皆さん方がどのように考えていらっしゃるかは知りませんが、これは実に重大なことです。大聖人様の三大秘法は、御本仏様の一切衆生救済の、実に根本の、厳として犯すべからざる大法で、これは御仏意によるものである。そのさらに一番の元が戒壇の大御本尊様と戒壇建立ということなのです。したがって『一期弘法抄』『三大秘法抄』における戒壇建立の御文は御本仏様の御指南であり、我々は、あくまで信に基づいてその御文を拝し、弘通の姿をもって、その御仏意の顕現を図るべきであります。
ですから、先程申したところの正本堂に関する宗門の「正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」
という決定の前に、「おれは偉いから、これはこうなのだ」というようなことを、ある一人の信徒の方が確定してしまい、発言してしまったということは、言い過ぎでありますから、これははっきりと反省しなければならない。また、訂正しなければならないと思います。
ところが今日に至るまで、本人がそれに対する反省も、また訂正も全然ありません。我々は、「自分はこれだけの立場(正本堂建立発願者)にあるのだから、大聖人の仏法はこうだ」と言い切るというようなことは、やはり仏法上、心して考えなければならない問題だと思うのであります。仏法に対するこのような考え方、このような体質、大聖人様の一番根本である戒壇の御文に対して、「これはこうなのだ」と言い切るような、またそれに対して、あとにおいて違った決定がなされたにもかかわらず、反省が全くないような形が厳として存在しておるのであります。
また、最近の問題を論ずるときに、前の五十二年・五十三年路線と比べて、それに対して「反省がない」とか「今、やはり同じだ」とか、色々な声を我々はよく聞きますけれども、では五十二年路線がどうして起こったのかという、その元を皆さんは考えたことがありますか。私は、先程の正本堂に関する定義を、色々な問題の経過において日達上人がお示しになったことに対して、「法華本門の戒壇たる正本堂」と論じた気持ちにおいて、そこにかなりの齟齬があったために、それに対して必然的に起こってきた日達上人に対する不信感からの、日達上人や宗門に対する批判等が五十二年路線だったと思うのであります。ですから、もっと元があるのです。
それで、あの問題が起こり、日達上人に対しても随分ひどいことを色々と言っております。私もそれを聞いたことがあります。皆さん方も分々に聞かれているでしょう。文献に残っておるものもあればないものもたくさんあるでしょうが、そのような形の中で推移しましたが、結局、当時の状況上、宗門から種々たしなめられて、それまでに池田名誉会長が発言したりしたことが間違ったことであるということを御自分でも認めざるをえなくなり、あの「お詫び登山」があったり、その他様々な形での反省をして「二度とこのようなことがないようにする」ということを誓われたのであります。
しかし、それから十年間たちまして、今日、何か私どもが解らない間にどんどんと宗門に対する批判、また法主批判のような形が進んできて、先程の説明にあったような姿が現れてきておるということなのです。
これは全部を達観してみると、やはり「自分は大聖人の仏法を全部、把んでいるのだ、だから私は『法華本門の戒壇たる正本堂』と言ったのだ」と言えるような考え、また今日においても「これからの広宣流布は法主の指示・指南を受ける必要もなく、意見を聞く必要もない。全部、自分が把んでいるのだ。自分が一番偉いのだから、自分の考えにおいて広宣流布をしていくのだ」ということが、やはり元になっているのであります。
そのようなところから、対話もない形もあります。また聞こうとする考え方もないようなお方でもあるようですから、したがってそのような面から見ると、宗門が何か、おもしろくないというようなことに、結局はなってきているのではないかと思います。
この膨大な信徒の数、また最近は何か非常に財務等も強調されているようでありまして、その中に色々な社会的問題があることも噂で多少聞いておりますが、とにかく非常に大きな組織が形作られておる。このままで行けば、そのような中に宗門は巻き込まれてしまうような形で、正しいことも何も言えなくなり、一切が在家の人の指示・指南に基づいて動くというようなことになってしまうのではないかと思うのであります。
私は、実はこの問題について、この間の一一・一六のきちんとした完全なテープが二本も手に入って、それらの内容を聞いた時に、「大聖人様や日興上人様のお心において、果たして我々がそのようなことを黙視していいのだろうか」と随分考えたのです。また、それからでも本当に打ち返し打ち返し考えた上で、幹部の人とよく話し合いをしまして、やはり「このようなことをこのまま何も言わないで見過ごしていくことはよくないのではないか」という結論に到達したのであります。
我々は正しい仏法をどこまでも命懸けで護らなければならない、そして未来万代に正しい法を広宣流布していかなければならないのであります。その気持ちの上から、ここに「お尋ね」という文書を学会へ出すことに踏み切ったのであります。
ところがそれに対して、先程も出たような形で恬として全く反省の色のない、しかもあとから返事は来たけれども、その時は全く回答もよこさず、全く捏造の意義を含めた九項目を提示し質問してきました。このような形は、全く反省の色もなければ、誠意もないという上から、かねての懸案の法華講本部役員の問題に関する「宗規」の改正にも踏み切ったのであります。
これは、けっして我々が理由なくわがまま勝手に、無慈悲にやったのではないのであって、正法を正しく護っていくために、どうしてもこの際は、お互いに立ち上がって、きちんとした筋道をとっていこうということを考えた次第であります。
これから、非常に厳しいこと、大変なこと、様々なことが起こってくると思います。大聖人様のこのようなお言葉があります。
「結句は一人になりて日本国に流浪すべきみにて候」(同九六四ページ)
私は、この御文を拝した時に涙が出たのであります。私もまた、その覚悟は持っております。
あくまで正しく、私一人になっても法を護ってまいります。
どうぞ、皆さん方の信心でこの問題を考えて、正しい正宗の僧侶として、この難局を乗り切るように頑張ってもらいたいと思います。
(大日蓮 平成3年2月号 57~68ページ)
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