善と悪の物差し

エッセイ

昨日は今月初めに顕正会を脱会し御受戒を受けられた御婦人と御講に参加し、御開扉を受けてまいりました。

 

報恩坊は全国(全世界)からお山(大石寺)に参詣に来られる方の宿坊になっていますので、前日の土曜日から坊に泊まらせて頂き、夕方の勤行を御住職様と共にさせて頂き、その後に勉強会をし、翌日は朝の勤行、唱題行、御講、御開扉と非常に忙しいスケジュールではありましたが、はじめて参加された御婦人も見ること聞くこと新鮮なことばかりで色々と感動されていたようです。

 

特に御開扉においては長年恋慕渇仰していた戒壇の大御本尊様にようやく御目通りできたことに非常に感銘を受けておられたようです…。

 

いつも思うこと

 

私が顕正会の方を折伏して、その方々をお山にはじめてお連れしたとき、

 

「この方を仏様のもとにお連れ出来て本当に良かった…。」

 

といつも強く感じます。特に御開扉をうけ、その方が大聖人様に御挨拶を済まされた時は、

 

「これでこの方も成仏への道が開かれた…。」

 

と非常に安堵感をおぼえるものです。

 

そして、つくづく感じるのは

 

仏法上の眼でみたときの善悪ってこれしかないよね!

 

ということなんです。

 

 

大聖人様の御眼から観た善悪

 

顕正会は御宗門に対して御遺命がどうのこうの、

 

血脈がどうのこうの、

 

戒壇がどうのこうの

 

と色々とイチャモンをつけてきますが、

 

仏様たる大聖人様の御眼からみれば、

 

「仏様に人々を近づけるのは善!」

 

「仏様から人々を遠ざけるのは悪!」

 

これが究極の物差しなのではないでしょうか?

 

この基準で全てを判断すれば、きっちりと善悪は分かれます。

 

何も小難しいことを考える必要はまったくないのです。

 

 

論より証拠

 

実際に仏様に御目通りされた方(御開扉を受けられた方)は皆さん憑き物が取れたように素晴らしいお顔になられます。

 

まさにその方の胸中に冥伏する仏界が湧現した状態になるのでしょう。

 

成仏への道はこれしかないのです。

 

正しい仏様に近づいていくこと。これが成仏への道であり、そのお手伝いをさせていただくことが本当の折伏なのです。

 

 

最後に昨日のお写真を…。(初めて登山された御婦人の顔だけは隠しておきました。)

 

 

元顕正会の報恩坊信徒さん達と。皆さん良い笑顔でした。お顔をお見せできないのが残念です。

 

 

 

 

 

 

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