「広告文と遥拝勤行で広宣流布はできる。」
この合言葉で全国一斉に駅前での新聞配布を行っているようですが…、
こちらが法華講員だと分かるとそれ以上の接触を避けるようになる…。
これが現在の大多数の顕正会員さんの姿だと思います。
中には先日私がお会いした女子部の女の子たちや、
二時間ほどやりあった婦人部総班長さんなどの腹のすわったお方もいらっしゃいますが、
そんな方々は例外中の例外のようで、
今は「ヘタレ」な顕正会員さんが大多数なのではないでしょうか?
こんな状況でよく「広宣流布」だとか、「国立戒壇」だとか言えるものだと本当にあきれ返ります。
だいたいが法華講員を論破しきらなければ広宣流布は出来ないわけですし、戒壇の大御本尊様は御法主上人猊下がお護りされているわけですから、日蓮正宗から逃げ回っていて「広宣流布」も「国立戒壇」も現実のものになるわけなんてありえないでしょ?
こんな子供でも分かる理屈が現役顕正会員さんには理解できないのでしょうか?
「私はこの信心に命かけてますから!」
顕正会員さんがよく口にされる言葉ですよね。
「命かけてんなら玉砕覚悟でかかって来るべきではないでしょうか?」
と私は問いたい。
少なくとも私が顕正会員だったころはもう少し骨があったかと思うんですがね…。
「法華講員とは接触するな!」との指示は区長さんや隊長さんクラスから出ているのではないでしょうか?現場で一生懸命配布している班長さんや総班長達は
「ようやく繋がった対象者…、相手が法華講員だろうと何だろうと顕正会の正しさをお話しして目を覚ませてあげたい…。」
という真摯な想いがあるのではないでしょうか?
それを「法華講員は対象外!絶対に奴らとは接触するな!他をあたりなさい!」
との指示を受け、皆様は何とも消化不良な感を持たれたのではないかと思います。
その上長さんの言葉の裏には
「法華講員と接触すれば顕正会の嘘がばれる…。自分の組織が崩壊させられる…。」
との思いが強く働いているのを皆さま方は読み取らなければなりません。
こんな姿勢が大聖人様の御意にかなう信心なのでしょうか?そんなことで成仏はかなうのでしょうか?こんな体たらくで広宣流布は出来ますか?国立戒壇なんて夢のまた夢なのではないですか?
私が顕正会員だったころ、
「広宣流布と言っても学会は口先だけです。法華講はやる気もないです。唯一広宣流布に身をなげうっているのは顕正会員だけなんです!」
という指導が当たり前のようになされていました。
しかし、今はどうですか?
口先だけ、やる気がない
これって顕正会幹部の姿そのものではありませんか?
ここ十数年、大量の顕正会幹部が日蓮正宗へと移籍しました。
口先ではない!やる気十分!!
という人材は既に法華講に行ってしまっているのですね…。
やる気のある現役顕正会員の皆様、
上長さんに失望したならば、勇気を出してご連絡ください。
そこにはあなたが求める真の信徒の姿、
顕正会が既に失くしてしまった「広宣流布」と「御遺命の戒壇建立」への情熱を持ち続けている理想の姿を見ることが出来るはずです。
コメント
トチローさん
書籍ありがとうございました。
遥拝勤行と広告文ですか…
偽本尊認めてしまったようですね。
しかも折伏出来る人材いない事も露呈しちゃってますね。
顕正会も末期状態でしょうね。
無事に届きましたか、安心しました。
黒い本の最後の部分があのコメント欄で話題になっていた箇所です。青い方の本はその後に出た本です。参考までに一緒に送らせていただきました。
ところで最近の駅前での新聞配布なのですが、最初は「なりふり構わず広宣流布に身を投げ出しているのか…。」と敬意の念さえ覚えたものですが、実態は仏法に無知な人々を政治問題で釣るためだけの単なる組織拡大のための行動にしか過ぎないと分かり、落胆は倍増した次第です…。
>顕正会も末期状態でしょうね。
私も痛切にそう感じます。末端の会員さんの純粋さは昔と変わらないにしても、その方々を直接に指導する人材のレベル低下が著しいような気がいたします。
今までは昭衞さんの口真似だけをしておけば何とか維持できたかもしれませんが、昭衞さんが鬼籍に入れば羅針盤自体がなくなるわけで、完全なる迷走状態になることは間違いないかと思います。本尊の問題、教義の問題等々すでに解決しなければいけない問題は山積みなのですから…。
克衞さんがまだ健在であるならば、たとえ昭衞さんがいなくなっても組織の存続は可能だったかとも思いますが、克衞さん無き今はその一縷の希望もまた望むべくもありませんね。
ところで克衞さんは今どうしちゃっているんでしょうか…。お元気だと良いのですが…。
ちなみにこの記事の「学会は口先だけ、法華講はやる気も無い。」との言葉は克衞さんの言葉でした。当時は聞いたことがある人も多いかと…。
こんにちは。きっと、今の顕正会員は「諸宗破折」もやらないのでしょうな。
昔は顕正新聞なんかでも、内道・外道問わず、直接そこへ乗り込んで行って法論してやったみたいな武勇伝も散見されたのですが、今なんかは邪教信者が罰で苦しんだ程度の話くらいしか無いみたいです。
何しろ、今や法華講員がやってきただけで逃げ出す有り様なわけでしょう?
そもそも、邪教の敷地に踏み入れることすら嫌がるんじゃないかと思いましてね。
で、書いてみましたw
バリバリの顕正会員(の幽霊)が無理やり神社の境内に放り込まれて、断末魔を上げながら消えて行くところ。
何しろ、そういう奴らにとって、邪教の敷地は放射能汚染地帯のように見えるでしょうからな。
その点、法華講員の人達はそんな放射能汚染地帯に教学という防護服を纏って入って行くわけですから、それだけでも武勇伝が発生するわけです。
もっとも、そのやり方に対し、ガチ勢信徒とエンジョイ勢信徒の軋轢、そしてアンチとの軋轢も一部で発生しているようですが……。
ガチ勢信徒
エンジョイ勢信徒
さて私はモモさんの目から見てどちらに分類されるのでしょう?
早速のレス、ありがとうございます。
一瞬、難しい質問と思いましたが、これは素直にガチ勢とお答えするより他は無いでしょう。
何も私は、「ガチ勢=盲信or狂信」とは言ってませんからね。
エンジョイ勢はほぼ一通りなのに対し、ガチ勢は色々なパターンがあるからややこしいんですよ。
最初は私もガチ勢に入るのかなーと思ったのですが、ものの見事に挫折したもんで、それならエンジョイ勢だと思っていたのが、どうも法道院もガチ勢しか居場所が無いようで、そこも居られなくなったと。
で、今はそのどちらにも属さない「傍観勢or実況勢」にいるわけですw
そういった意味では、“あっつぁブログ”は「エンジョイ勢」から「ガチ勢」へ移行していく様が見れる貴重な資料です。
エンジョイ勢が排除されていく様がシュールなものだったでしょう?w
なるほど…。
自分で言うのもなんですが、真面目といった部分ではそうかもしれませんね。
ただこの信心って絶対に譲れない部分ってのはごくごく一部であって、それ以外は案外ゆるいもんだと思いますよ。
絶対に守るべきものは「戒壇の大御本尊様と御法主上人猊下への絶対の信。」ですが、それさえ忘れなければ他の部分の価値観は人それぞれで良いのではないでしょうかね?
御僧侶と身近に接していけば、そのあたりの塩梅ってものは自然と体得できるような気がします。
四角四面のガチガチは私も肌に合わないですね。
トチロー様、こんばんは。
自分は御授戒したてなので、
エンジョイ + 傍観勢 でしょうか。
良く見てから動かないと後々困る事にもなりかねないので慎重には動いてますね。
そこらは一般世間と同じでしょうか。
所属寺院には元顕が少なくて寂しいですね。
正確には折伏親さんは御授戒の時に紹介された方で、自ら進んで寺院に御授戒行ったもんですから、知り合いはほぼいない状態です。
化石さんへ
私もこちらに来たときはお寺の中に元顕正会員さんは一人もいない状況だったんです。もともと小さい講中だったというのもあるのですが…。
ただ結果的にはそれが良かったのかもしれません。
御法主上人猊下も「入信するにあたり相手の誤った信仰をきちんと破折しなさい。破折せずに入信しても功徳は絶対に出ない!」と御指南下さってますが、顕正会への執着が微塵でも残っていれば、それがその後の自身の足を引っ張ることになるかとも思います。
そういった意味では、気持ちが理解しあえる元顕正会員の存在というのは有難い反面、お互いに傷の舐めあいになり、まったく成長しない弊害もまた併せ持っていると思うのです。
まずは真っ新な気持ちになって「一から日蓮正宗の信心を学ばせてください。」という謙虚な気持ちでお寺に参詣し、混じりっ気のない大聖人様の仏法が完全に自分のものになった後に、顕正会で身に付けた経験やノウハウを日蓮正宗信徒の立場から大いに活かしていくというのが大聖人様の御心に叶った行動ではないかと思います。
ちなみに化石さんのような経緯で顕正会から法華講に入られて既にお寺の講頭さんを務められている方もいらっしゃいますし、役職は無くてもそのような立派な信心をされている元顕正会員の方も全国の中にはいらっしゃいますよ。
今度そのような方のブログも紹介しますね。