昭和42年寄稿文

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平成21年(2009年)1月5日

早速コメントを頂戴したわけですが…。ありの金吾さんのコメントの



>いわゆる「御遺命守護の戦い」も複雑な経緯があり、一時期の宗門高僧の発言を取り上げて「御遺命違背だ!」と言うのは早計ですよね。



…に、全ては集約されていると思いました。私が数日かけて書こうかと思っていたことをたった2行で簡潔にまとめられてしまっては立場が無いのですが、まぁネチっこいのも好きな人達もいらっしゃるかと思いますので…、ネチネチと書かせて頂きたいと思います。



まずはありのさんの書かれた件ですが、一時期の高僧方のご発言を今回は利用したんですよね…、っていうか顕正会はいつもこればっかりじゃん!と私は思う訳です。そして、この発言をもって「宗門だって正本堂を御遺命の戒壇と認めていたじゃないか!!!」と言うのは勝手ですが、これでは斬られちゃいます。



当時は確かに“正本堂が御遺命の戒壇となる”という空気が宗内に充満していたというのは御宗門でも認めているんです。ただ、“正本堂=御遺命の戒壇”を日達上人が認めていたかどうなのかが問題であって、それに関しては認めていないというのが公式の見解です。



つまり浅井会長の「どの坊主も『宗門は正本堂を御遺命の戒壇と認めたことはない』などと平然と言っている。」という発言は、日達上人は認めていないんだから“公式見解として認めていない”と御僧侶方は言っていても全く問題は無いわけです。これでまず一点目は斬りました。



次に、大日蓮昭和42年11月号の高僧方の寄稿の問題ですが、これに関しては御隠尊猊下もそのような内容を書かれたことをお認めになっておりますし、また他の高僧の方もそれに関しての反省を過去の機関誌に出しております。ですから、何も昭和42年の段階に於いてそのような発言が有ったこと自体をほっかむりしているわけではなく、事実は事実と認めた上で正直に反省しているのです。



このような事実を顕正会員は知らされておりません。



活動報告をされた方が訪れた群馬のお寺では準備が出来てなかったのでしょうが、私の所に同じネタで来られれば、全て原本の機関誌をお見せした上でご説明させて頂きます。



全てを正直に話せば良いものを、浅井会長はこのように話すべき事を話さず、自分に都合の良いところだけをクローズアップして会員さんを洗脳していくのです。顕正会員の皆さんは早くその事実に気が付くべきです。



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