よき法 よき師 よき檀那

異体同心

前回は国家成仏の縁とは法華初心成仏抄の以下の文ではなかろうかと書かせて頂きました。

譬へばよき火打ちとよき石の角とよき火口と此の三つ寄り合ひて火を用ふるなり。祈りも又是くの如し。よき師とよき檀那とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就し、国土の大難をも払うべき者なり

御書 1314頁

本日は火打石による着火方法をあらためて確認したうえで、御本仏日蓮大聖人の御意に思いを馳せたいと思います。

火打石による火のおこしかた

私は昭和生まれではありますが、火打石で火をおこしたことがありません…。

なんとなくイメージは出来ますが、「火打ち金」ってなに?とか火口ってどうやって使うの?って聞かれたら全く返答が出来ません…。

既に波平さんの年齢を超えてしまった私でさえそうなのですから、今の若者には何が何やら分からないかもしれませんね。

今の時代コンロはIHヒーターになるし、タバコは電子タバコに切り替わりつつありますからね…。

無駄話はこれくらいにして…、火打石の話は御本仏たる大聖人様が説かれた譬えでありますから、ここは正確に理解できるように一つずつ学んでいきましょう。

先ずは火打石で火を起こす方法を動画で見てみたいと思います。

どうでしょうか、改めて火打石による火の起こし方を見ると「おぉ~~~!」と感動するのではないでしょうか。大聖人様の譬えも当にこの作業を言っているわけですね。それでは、この一連の工程を仏法に当てはめて考えるとどうなるのでしょうか。ぜひ皆様も心静めて考えてみてください。

この比喩から見えてくるもの

日應上人の桜の比喩も、御法主日如上人の渋柿の譬えも、歴代御法主上人の比喩はその中に幾重にも真理を織り交ぜながら仏法の道理を教えて下さっております。たとえ仏法の道理に暗い私たちでも、その比喩から真理に気づかせて頂けるものです。

とりわけ今回の火打ち石の譬えは御本仏日蓮大聖人の比喩でありますから、そこには甚深の御教示が含まれているものと拝するものです。

私ごときの拙い者にも四つの事項に気づきました。今後気づきは増えるかもしれませんが、それはその都度お話ししていけたらと思うものです。

単独では火をおこせない

一番最初に気づかされたのは、火打ち金も火打石も火口も「火をおこす」という性質は持っているものの、それ単独では火はおこせないということです。 

すなわち法のみでも僧侶のみでも、そして檀那だけでも火をおこすことは出来ない…。

御僧侶方からのお話で「僧侶だけでは広宣流布は出来ません。信徒のみでも広宣流布は出来ないのです。」という言葉をしばしば耳に致しますが、当にこのことを仰ってるのだと思います。

                 

三つ揃っても行動が無ければ火はおこらない

それでは「法」と「師」と「檀那」がそろえば、それで火をおこすことが可能なのかと言えばそれもまた不可能なのです…。

上記の動画でも最初この三つは火打ち箱の中にありましたよね。その時点では火はおこりません。火打ち金と火打石をぶつけて火花を発生させて、それを火口に着火させて火種を作ってこそ火はおこせるのです。

このブログを読まれている方は日蓮正宗関係者が多いでしょうから、御自身のお寺に当てはめれば分かりやすいのではないでしょうか…。

各末寺は戒壇の大御本尊様の枝流たる御本尊様を安置し「よき法」は存在します。それを御護りする御住職もいらっしゃるわけで、ここに「よき師」も叶っているわけです。そして少なからず信徒はいるわけで「よき檀那」もそろっている…。けど誓願未達成になってしまうのはなぜなのでしょうか?

まぁ、そういうわけでございます…。たとえ三つがその場に存在しても「行動」が無ければ何も起こらんのです。

火がおこるとは諸天善神が動き出すこと

それではその火をおこす「行動」とは一体なんなのかというお話をする前に、この「火がおこる」とはなんなのかということを考えてみたいと思います。

来年度から勘定すると、二十一年を入れて残りまさに三年であります。平成十四年に御命題をいただいて四年、折伏について、もちろん充分に成果を挙げている支部もたくさんあります。全く挙がっていないというのではありませんが、しかし全体からいくともうひとつ、理想的な成果は挙げていないと思います。そんなところから、今までの四年間を振り返って「あと残り二年や三年で地涌倍増など、とてもできない」と思っている方がいないわけではないと思います。しかし私は、それは違うと思う。もし我々指導教師がそのように思ったら、これは絶対にできません。御書のなかにも、


  「梵天・帝釈等の御計らひとして、日本国一時に信ずる事あるべし」
                               (御書一一二三㌻)


とあります。我々が努力に努力を重ねていけば必ず梵天、帝釈、諸天善神が動くのです。この諸天善神を動かすような闘いを、むしろこれから行っていくべきではないかと、私は強く思う次第であります。そこに、二十一年の御命題について、名実ともに達成できるのではないかと思います。

大日蓮 平成19年1月号 53頁

上記は平成18年の御法主日如上人の御指南ですが、当時私はこの御指南を拝読して発奮致しました。そして御住職様と共に折伏に次ぐ折伏を敢行し、その年の年末には御命題達成を射程距離におさめ、翌年早々には無理難題とも思えた地涌倍増の御命題を達成することが叶いました。

当に法華初心成仏抄の「祈りも又是くの如し。よき師とよき檀那とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就し」を事に顕すことが出来たのです。

その途上は魔の嵐も吹きまくりました。しかしながらそれを上回る諸天善神の御守護と御本尊様からのご加護を得て誓願を成就させて頂くことが出来ました。その経験を通じてハッキリと認識できたこと…、それは僧俗一致・異体同心は諸天を動かすということでありました。

この道理は寺院レベルから国家レベルまで共通する

この法華初心成仏抄の一節は個人レベル、寺院レベルでの御教示ではありますが、そこに秘められたる道理は国家レベルの次元にまで通用するものと拝しました。それが「国土の大難をも払うべき者なり。」の一言であるかと思います。

それを裏付けるものは日顯上人の過去のお言葉にも存在いたします。池田大作さんへのリップサービスはどうでも良いとして、それ以外の処を何度も拝読してみてください。

第二十九回学会本部総会

教学部長 阿部信雄師祝辞

本日は会長池田先生の御就任満六年に当り意義深い総会を盛大に開催せられまして誠におめでとうございました。

世界全人類を導くべき最高の正しい仏法のあり方は、かなえの足のごとく、三つの要素によって確立するものと思います。

 すなわち、よき法、よき師、よき檀那であります

古今東西両洋の哲学宗教を通じて最もすぐれたものは仏教であります。

なんとなれば、宇宙人生の原因結果の法則は勿論、善悪、幸不幸等の実相を、過去、現在、未来の三世をつらぬいて完全に説きあかしておるからであります。

その仏教、いわゆる釈尊五十年の説法は、天台がその教判に於て、一切の異論異説を整理いたしました結果、ただ法華経に窮る事を証明いたしました。

さらに、この法華経の指し示すところ、その極意は何かと言えば、末法日本国に本仏日蓮大聖人の三大秘法が出現し、広宣流布する事であります

そして、この日蓮大聖人の仏法は、御開山日興上人、日目上人と一器の水を一器にうつし遊ばされ、現在御当代日達上人が世界でただご一人のみ、この仏法をお持ち遊ばされております。唯授一人血脈の大御本尊様、法主上人おわします所、ここに世界人類救済の一大基盤があると確信するものであります。

つぎに大聖人様は広宣流布の条件として、三大秘法抄に「有徳王・覚徳比丘の其のむかしを末法濁悪の未来に移さん時乃至時を待つ可きのみ」 (書一〇二二頁)と予言されました

 この御文は広宣流布の時、在家の中より身命(いのち)がけで仏法を守る指導者が必ずお出になる事を示されたものと拝されます。

その広宣流布の時とは、まさに今日、創価学会の出現により、又その大指導者たる会長池田先生が身をもって示される、法主上人猊下と宗門に対する不惜身命の御守護をもって、いよいよ、その時が到来した事をだんじてはばからぬものでございます。

現猊下は、去る昭和三十九年四月、総本山大客殿落成慶祝法要の砌に、池田先生を全宗門信徒のたばねである法華講総講頭に御委嘱になりました。

この御両人のお示しになる僧俗一致の姿こそ実に広宣流布大願成就の根幹であると確信いたします。

ここに皆様方並びに我々僧侶一同、すなわち宗門の全体におきましても、ますます僧俗一致の結束を固め、あらゆる魔の障害を排除し全人類救済、広布の達成に、また四年後の正本堂建設に全力をあげて邁進いたしましょう

以上をもって御祝辞といたします。

大日蓮 昭和41年6月号 15~16ページ

ここにおいて日顯上人は「よき法、よき師、よき檀那」を「かなえの足のごとく、三つの要素によって確立する」と、正しい仏法のあり方はこの三者の一致によって確立するのだと仰せになっております。後段においてはより具体的に「僧俗一致の姿こそ実に広宣流布大願成就の根幹であると確信いたします。」と断言せられております。

つまりこの法華初心成仏抄の火打石の譬えは広宣流布という最終ゴールに至る大事な大事な鍵であるということでありましょう。

火をおこす鍵は僧俗の異体同心

御法主日如上人猊下は御登座以来つねに私たちに「異体同心」の大事を説いて下さっております。

しかしながら「異体同心」という言葉を発するのは簡単ですが、それを実際になすのは一筋縄ではいきません。それに関してこれから様々な角度から考えていきたいと思います。

それでは近々の御法主日如上人猊下のお言葉を拝読して本日は終わりにしたいと思います。

末法濁悪の世に在って、折伏が困難であることはもとより承知のことであります。しかし、その困難を乗り越えるために何が一番大事なのかと言うと、大聖人様は、

「異体同心なれば万事を成ず」(御書1389㌻)

とおっしゃっているのであります。

この御文の「万事」とは、すべてにわたってという意味です。つまり、折伏もそうであります。異体同心の団結が一切の鍵になるわけです。

したがって、折伏については、講中が指導教師と講頭を中心に、しっかりとスクラムを組んでいくことが大事であります。そのような体勢を構築していきませんと、誓願は達成できません。つまり僧俗一致・異体同心であれば「万事を成ず」るわけであります

これは皆さん方、御信徒だけの問題ではなく、我々僧侶にとっても非常に大事なことであります。つまり、指導教師である住職・主管と御信徒の皆様方とが僧俗和合するところにすべてが達成するのでありますから、この辺のところを本年はしっかりと気を付けられまして、折伏に精進していただきたいと思います。

大日蓮 令和6年2月号 40~41㌻

過去にも一回アップしましたが「異体同心による奇跡をおこす」といえばスクールウォーズかな…。信仰者の団体ではないけど「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」ですから、これもまた仏法の道理にかなっていたのではないかと思います。8分44秒あたりから歌は始まります…。

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