事相に約しての義理とは…?

「事の戒壇」「義の戒壇」

それでは顕正会員さんが認識している「事の戒壇」とは一体何ものなのでしょうか?

 

これは今さら説明するまでもなく「事相に約しての事の戒壇」ということですね。

 

ここで更に踏み込みますが、

 

「事相に約す」とは一体全体なにを基準として「事」と「義」に分けられるのでしょうか?

 

そうですね、「建物があるか無いか」ということですよね。

 

それでは、その根拠とはどこから導き出しているのでしょうか?

 

このあたりが明確になってくると、事相に約しての立て分けの姿がハッキリと見えてまいります。その上で法体に約しての立て分けを考えていくと、正本堂に関する一切の御指南が理解できてくるわけですね。

 

というわけで今回は「事相に約して」という件についてお話ししてみましょう。

 

 

「事」「義」は比較相対の表現

 

折伏理論書には

 

すなわち、大聖人が三大秘法抄等に御遺命された本門戒壇は、広宣流布の時が至って始めて“事実の姿”として建立される。ゆえにこの御遺命の戒壇を事(事相)の戒壇というのである

(折伏理論解説書 日蓮大聖人の仏法 (初版)123ページ (改訂版)127ページ))

 

このように説明されているもので、私を含め大多数の元顕正会員(現役ももちろん含む)は広宣流布の暁に建立される戒壇のみが「事の戒壇」と呼称すべきものだと認識していたはずです。

 

「実際の姿として建立されるから事の戒壇というべきで、この御遺命の戒壇以外に「事の~」という表現は使うべきではない。」

 

と認識されていたのではないかと思うのですね。実際に私が今まで接してきた顕正会員さんは100%こういったお考えでした。

 

しかしながら、日蓮正宗では「事の~」「理の~」「義の~」といった表現は非常に多く目にするものなのです。日寛上人の「六巻抄」や「御書文段」なんかを読むとあらゆるところにこの表現は出てきます。そもそも六巻抄の「依義判文抄」なんか「義に依って文を判ずる」論文なわけで、「事」「理」「義」といった表現はあったりまえのように使われているわけです。

 

このことを御隠尊猊下は

 

ここで少しく事理のたてわけについて一言しよう。仏教における事理の名目は多岐多端であるが、一般的には理論と実践、真理と事相、抽象と具体、心法と色法、教理と仏身その他を 含む相対的法相・法義の意味を判じあらわすのである。

(本門事の戒壇の本義 (大日蓮 昭和51年3月号 28ページ)

 

とご説明くださっているわけです。すなわち「事」「理」「義」というのは比較相対の表現なのですね。

 

ということは、同じ「事」「義」といっても比較する物差しによって内容は変わってきて当然なのです。

 

浅井さんの言っていることは間違いではありませんが、部分的なところしか見ていないということは言えるのではないでしょうか。

 

 

 

「事相に約して」の本来の道理

 

浅井さんは何とかして御遺命の戒壇のみを「事の戒壇」というべきであるとの説を押し通したくて、次のようにも申しております。

 

「第二は、本宗の伝統法義の上からは、広布以前に戒壇の大御本尊まします所を「事の戒壇」とは絶対に云えないのである。

まず本宗伝統の法義を示そう。本門戒壇における事(じ)と義(ぎ)とは、事とは事相(じそう)(事実の姿)の意、義とは義理・道理の意である。すなわち、三大秘法抄に定められた条件が整った時に事実の姿として建立される戒壇を「事の戒壇」といい、それ以前に本門戒壇の大御本尊のまします所を「義の戒壇」と申し上げるのである。

 

(正本堂の誑惑を破し懺悔精算を求む 179ページ)

 

 

これはこれで間違いではないのですが、日寛上人が仰せになった「事相に約しての戒壇の事・義の立て分け」の真の意味を浅井さんは本当に理解できているのかな?という疑問が湧いてきます。

 

たしかに文底秘沈抄の戒壇の文、

 

夫れ本門の戒壇に事有り、義有り。所謂義の戒壇とは即ち是れ本門の本尊所住の処、義の戒壇に当たる故なり。例せば文句の第十に「仏其の中に住す即ち是れ塔の義なり」と釈するが如し云云正しく事の戒壇とは一閻浮提の人の懺悔滅罪の処なり、但然るのみに非ず、梵天・帝釈も来下して踏みたもうべき戒壇なり。秘法抄に云わく「王臣一同に三秘密の法を持たん時、勅宣并びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か、時を待つべきのみ、事の戒法と申すは是れなり」等云云

(六巻抄 61ページ (顕正会版 61~62ページ))

 

だけを拝すると一見そのようにも思えます。しかしながら、同じく六巻抄に収められている依義判文抄を拝読すると「本尊所住の処は義理(意味合い)において本門の戒壇にあたる。」の詳しい説明が根拠をもってなされています。

 

それが理解できると、浅井さんの「御遺命の戒壇から開いていく」考え方に違和感を覚えると思います。大聖人様の仏法においてはあくまでも「法体から開く…。」「本尊所住の処より実際の戒壇建立を考えていく。」という思考回路が大事であり、そのように思考を展開していくところに一切の矛盾を排した結論が導き出せるのでございます。

 

 

本尊所住の処、義の戒壇

 

 

依義判文抄には以下のようにある、

 

 神力品に云わく「爾の時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく、諸仏の神力は是くの如く無量無辺不可思議なり。若し我、是の神力を以て、無量無辺百千万億阿僧祇劫に於て嘱累の為の故に、此の経の功徳を説かんに、猶尽くすこと能わず。要を以て之れを言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す。是の故に汝等如来の滅後に於て、応当に一心に受持・読・誦・解説・
書写し、説の如く修行すべし。所在の国土に、若しは受持・読・誦・解説・書写し、説の如く修行すること有らん。若しは経巻所住の処、若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若しは僧坊に於ても、若しは白衣の舎、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に、皆応に塔を起てて供養すべし。所以は何。当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。諸仏此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於て法輪を転じ、諸仏此に於て般涅槃したもう」已上

(中略)

四に「所在国土」の下は即ち戒壇勧奨なり。文を亦三と為す。初めに義の戒壇を示し、次に「是中」の下は事の戒壇を勧め、三に「所以者何」の下は釈なり。

初めに義の戒壇を示すに亦二と為す。初めに本門の題目修行の処を示し、次に「若経巻」の下は本門の本尊所住の処を明かす。故に知んぬ、本門の題目修行の処、本門の本尊所住の処、並びに義は本門の戒壇に当たるなり。故に宗祖の云わく「霊鷲山とは御本尊並びに南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処を説くなり」云云。又云わく云云。

次に「是中皆応」の下は正しく事の戒壇を勧むるなり。

 

(六巻抄 101~104ページ (顕正会版 100~103ページ))

 

このように法華経においても「本門の題目修行の場や、本門の本尊所住の場所は未だ戒壇という建物が存在しなくてもそこは意味合いにおいて本門の戒壇」と説いている。故に本宗においても御本尊様の在所はたとえ現在は建物が無くてもその場所は戒壇であると捉えるべきであると仰せなのです。これが「義の戒壇」の本来の意義です。

 

すなわち、広宣流布の暁までは戒壇の大御本尊様をご安置する戒壇は存在しません。しかしながらその御在所は「義理において戒壇である。」ということなのですね。

 

当然のことながら、将来的には戒壇を建立すべきであります。しかし、それには条件がある。それが広宣流布の暁であり、これを御遺命の戒壇と称するのであり、日寛上人はこれをさして「正しく事の戒壇」と仰せになっているわけですね。

 

これこそが日蓮正宗における事相に約しての「事・義の立て分け」の正統な考え方なのです。

 

 

こうしてみていくと、浅井さんの発言には一切の矛盾が無いようにも見えます。

 

しかしながら、日寛上人の御指南はこの依義判文抄のように「本尊所住の処」「題目修行の処」が戒壇であるという所から考え方を発展させていくわけであり、浅井さんのように「広宣流布後の戒壇」から考えを進めていくと、必ず将来的に行き詰まるわけです。それが「法体に約しての立て分け」の理解不能という結果へとなるわけですね。

 

 

本日はここまでにしておきましょう。

 

 

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追記

以前に同様の記事を書いたことがあるのですが、これらも併せて読まれると理解が進むかと思います。

 

事の戒壇 義の戒壇 1

事の戒壇 義の戒壇 2

事の戒壇 義の戒壇 3

 

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