渋柿

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前回は苦しみの根本原因は煩悩にあるということをお話しいたしました。

 

ただ、煩悩と一口に言ってもその煩悩の性格を正確に(すみません、おやじギャグではありません…。)把握している方は少ないのではないかと思います。

 

本日はその煩悩の基本的性質と、その対処方法についてお話ししていきましょうね。

 

仏教諸宗の修業は煩悩の断滅が目的

 

煩悩を元とする行動から苦しみが生まれるというのは世間一般でも認知されてきましたよね。

 

スタンダードなもので言えばナポレオンヒルやマーフィーなどの潜在意識に焦点を当てたもののとか、ジェームズ・アレンの原因と結果を説いたものとかは知っている人も多いのではないでしょうか。

 

また少し前では小林正観さんや斎藤一人さんなどが意識的に心をコントロールする方法を提唱していて、結構うけていましたよね…。「ありがとうございます。」とか、「ついてる!」なんて言葉があちこちから聞こえてきていた時期がありましたよね…。

 

最近ではスピリチュアルとか、引き寄せの法則だとかがこういった部類入るのかな…。

 

どれもこれも素晴らしいことを書いてあるなと私は思うんですよね。

 

ただね、こういった考え方というのは既にお釈迦様が説いていらっしゃるのだということはお嬢さん方は知ってましたか?

 

そもそも仏さまというのは人々を苦しみから救うために心の問題を解き明かされているんですね。大聖人様は当然のことながらインドのお釈迦様においてもそうでして…、言い換えれば仏様の説かれるものは全てが心をどのようにコントロールして苦しみから脱却し、そして幸せを呼び込むか、これに尽きるんです。

 

ですから、「煩悩を元とする行動から苦しみが生まれる」ことへの対処方法こそが色々な仏教で行われている修業なんだということなんですね。

 

それが的を射ているか否かは別として、仏教の根底にあるのは「煩悩をどう処理するか」という問題に焦点が合わされているということをここでは覚えておいてくださいね。

 

 

煩悩と仏性は一体

 

煩悩が全ての苦しみの原因であるということはお嬢さん方も理解できたかと思うのですが、この煩悩を取り除くというのは本当に難しいものなんですね。

 

世間での諸説は当然のことながら、仏教各宗においてもその辺りには迷っているわけです。

 

それゆえに色々な方法が説かれている…。

 

けど、「これで全ては解決します!」という方法はあるでしょうか?

 

おそらく無いと思います。

 

なぜか?

 

それは「煩悩は私たちの心の表面を覆っているものである。」という誤った認識に捉われているからなんです。この認識から導かれる方法はすべからく煩悩のみを取り除くといった手段に終始します。

 

しかし、真実はそうではない…。

 

私たちの心に煩悩は深く深く染み込んでしまっているわけです。表面上だけの煩悩を拭い去ろうとしても無理なんです。かといって心をバラバラにして中から煩悩だけを抽出しようとしても、それもまた出来ないわけです。

 

いま私は「心」という表現を使いましたが、より詳しく述べるならば、これは「仏性」と呼ばれるものです。不軽菩薩が人々に合掌礼拝して回ったのも、人間だれしも胸中にこの仏さまと同じ境界になれる仏性を持っているがゆえであり、この仏性が仏性本来の輝きを放つとき、人々は苦しみから解放されて幸せになれるわけですね。

 

しかし、現況はほとんどの方が煩悩という汚れに染まってこの仏性が仏性本来の働きをしていないのです。この煩悩の作用を抑制し、仏性本来の輝きを取り戻す方法を説かれたのがインドのお釈迦様であり、日蓮大聖人なのです。

 

 

渋柿

 

この仏性と煩悩の関係を理解するには渋柿が一番理に適っているかと思います。

 

お嬢さん方は「渋柿」って知っていますよね…?

 

「えっ!知らない…⁉」

 

じゃあ「干し柿は?」

 

「それも知らん…。」

 

あちゃ~、話はここでお終いになってしまいますか…。今は色々と甘いものが簡単に手に入りますからね…。コンビニに行けば足を運ぶごとに新商品のスイーツが並んでいますし、季節限定をうたったチョコレートなんかも目まぐるしい速さで棚をにぎわしていますからね…。

 

けど、あまり甘い物ばかり食べていてはだめですよ。「私これからダイエットするから!晩御飯は食べないから!」って宣言して冷蔵庫にはぎっしりスイーツが詰め込まれていて、夜な夜なそれをパクパク食っている姿を親御さんは眼をウルウルさせて見ていますよ…。「どこかで育て方を間違えた…。」って…。

 

話は戻しまして、

 

柿というのは甘いものと、渋くてそのままでは食べられないものとの二つが存在するのです。しかしながら、この渋い柿も皮をむいて天日にさらして干すと甘い柿へと変化するのですね。そして「干し柿」として食べることが出来るのです。

 

現代では「クックパッド」なんかで干さずに渋柿のシブを抜く(変化させる)方法のレシピがたくさん紹介されているようですね。

 

ただ、これもまた手段は違えども渋柿の中の「タンニン」という成分を「抜く」のではなく、「変化させる」ことによって渋みを感じさせないようにしているんですね。

 

つまり、渋柿を甘い柿に変身させる考え方というのは、そのまま煩悩を菩提へと転じる考え方と同じなんです。

 

それを頭に入れて頂いて話を先に進めましょう。

 

 

渋柿のシブさってどこにあるの?

 

 

シブいと言ったらこの人ですよね、藤竜也さん!

 

私も「ホッとしたくて」タバコを吸い始めて既に30年の月日が経ってしまいました…。(アラフィフの人でないと分からんか?)

 

ホッとしっぱなしの我が人生…、「いつやる気を出すんじゃい!」との奥さんの声が背中から聞こえてきますが、わかっとります、やるときゃやります…。

 

 

 

 

横山剣さん、この人もシブいですよね…。

 

 

話を戻しまして、おっさんのシブいのは良いですが、柿がシブいのはダメですよね。

 

柿のシブさというのは「タンニン」という成分があるかららしいです。でもって、柿を酸欠状態にすると柿の内部でアルコールが発生して、このアルコールが「アセトアルデヒド」という成分になって、それが「タンニン」を水に溶けない性質に変化させてしまう…。すると口の中で「タンニン」が溶け出さないからシブさを感じなくなる…。といった仕組みらしいですね。

 

文系の私には?????で頭が一杯になってしまうのですが、干し柿は干すことによって表面が硬化して内部が酸欠状態になるゆえに、上記の方程式で甘く変化するんだよということらしいのですね、はい…。

 

ということはですよ、「タンニン」自体はまだ渋柿の中に残っているんですね。

 

ここ重要ですよ!ちゃんとノートしておいてくださいね。

 

渋みを感じる「タンニン」は無くなったわけじゃない、その働きが変化したんだ。ということなんです。

 

そして、柿を干すことによって、お日様や軒下を流れる風が縁となってその作用が起きたんだということ…。

 

私たちの煩悩ならびに仏性も実はこれと同じ道理なんですよ。ということを本日は覚えてくださいね。

 

 

それではまた…。

 

 

 

 

 

 

 

 

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