お嬢さん方は今までの人生で辛かったこととか、苦しかったこととかってありますか?
人間だれしもそういったことは大なり小なり経験してはいるものですが…。
今日はそういった「苦しみ」がなぜ起こるのかということについてお話ししていきましょうね。
原因と結果
顕正会では「結果」のあるところ必ずその「原因」があると教わりますよね。
原因を無視して結果だけを論ずる宗教は間違いであると…。確かにその通りなんですね…。ただ、この考え方は宗教の正邪の判断だけではなく、あらゆることに活かされてくるものなんです。
その端的なものは「成仏が叶うか否かは、生前の行いが善きものであったか、それとも悪業を積むものであったかが成否を決める。」ということは顕正会の皆さんであればすでにご存じであると思います。
今日はそこから一歩進めてより細かく見ていきましょうね。
苦しみは行動により起こる
苦しみという結果はそれを招く行動によってもたらされます。
たとえば仕事先の人間関係で苦しみを招いていたとしたならば、そもそもその仕事先を選んだという過去の行動が苦しみの原因だったりするわけですよね。
それではその仕事先を選ばずに家でじっとしていたら苦しみを招かないのかといえば、これはこれで直接的な人間関係の苦しみは無くなるのかもしれませんが、そもそも仕事をしないのですから、やがて生活費が無くなり今度は経済苦がその人を襲うことになります。
「動かない」という選択もまた一つの行動なんですね。
「動いても苦、動かなくても苦。」
何の解決にもならないじゃん…。
との思いが湧いてきてしまいますが、安心してください。
どんな行動を選択したかという結果にはまた原因があるのですね。それは、その人の境界においてその人が持っている煩悩から発せられているのです。
煩悩から行動が起き、その行動から苦しみが起きる。
煩悩→行動(業)→苦しみ
原因→結果(原因)→結果
このように原因と結果が永遠にクサリのごとく繋がって現在のお嬢さん方の置かれている環境がつくられているのですね。
全てのスタートは心から
今がとても幸せならばそれはそれで良いかと思います。オジサンは何も申しません。ただ…、仮に少しでも不幸の兆候があるならば、この方程式を思い起こして、現在の苦しみはどんな行動がそれを起こしたのだろうか…、なぜそんな行動を選択してしまったのだろうか…、その時の自分の心の状態はどうであったのか…、どんな価値観を自分は持っていたのだろうか…、と心静めて考えてみてください。
幸も不幸もすべては自分の心の状態がスタート地点なのだということが理解していただけたなら嬉しいです。
本日はここまでにしておきましょうね。
コメント
管理人様こんばんは。
顕正会員の皆さんにはよく読んでほしい内容ですね。
顕正会員さんも色々な角度から、組織に対して疑問を持つと思うのですが、御宗門は正系門家らしくどっしりと構えて、正しい化儀を御指南下されてるのが一番だと思うのです。
それを見て何が邪で何が正なのか自ずとから結論は導き出されるのではないでしょうか。
正しい化儀を知ることこそ、顕正会員さんが正義に目覚める一番のきっかけなるのではないでしょうか。
こちらのブログは正統派として展開していただけると、顕正会員さんの道しるべにもなると思っています。
コメントありがとうございます。
先ほど東京会館のあるときわ台まで折伏に行ってきましたが、捨閉閣抛そのままの姿に「顕正会も変わってしまったな…。」としみじみ感じました。
こちらを論破する意気込みなど微塵もなく、目を閉じ、耳をふさいで逃げ回る姿に、「お前ら大聖人様の弟子壇那の自覚はあるのか…。」と思わず言いたくなりました。
これらも戒壇論だけではなく、全体をバランスよく御僧侶から学んでいたならば、決してそのような念仏信者のような姿勢は恥ずかしくて出来ないはずなんですがね…。
たぶんそんな方々はこのブログを見ることは無いかと思いますが、たとえ僅かな人数であっても本物を求める顕正会員さんに少しでも日蓮正宗の教えが伝わればと願って日々書いていこうと思います。
これからもよろしくお願い致します。
こんばんは。
若い顕正会員を折伏せんとするその精神は流石ですよ。
しかし、いざ報恩坊さんに招き入れた時、その若い人達を守る体制が整っていなければダメだと思います。
どうもね、法華講内には若い者を軽視する風潮があるんですよ。
私も30代前半まで法華講に身を置いていた時、その空気を肌で感じ取りました。
何となくですけどね。
最初は元顕正会員だから軽視されるのだろうと思っていたのですが、どうも違う。
ただ単に若輩だったからなんですね。
いや、もう30過ぎればいいオッサンだろうと思っていたんですが、いやいや、どうしてどうして法華講という所は、日本の議員さんの世界並みに、例え60歳であってもまだ鼻たれ小僧扱いする支部もあるくらいで、それが若者が居づらいと感じる原因でもあるんですよ。
青年部という組織を有する支部がありますけどね、実は彼らは好きなようにやらせてもらえない。
結局、壮年部や婦人部の顔色を伺う必要がある。
何故なら、講頭さん等の幹部がその御年だからです。
講頭さん達は、自分の近しい壮年部員達と直接コンタクトを取ることが多いのですよ。
“フェイク”なんかでも、たまに法華講の平均年齢の上昇を叩く記事が出ることがあります。
もちろん法華講からしてみれば、「大きなお世話だ、バカヤロ!」といったところですが、でも実は、そこはさもありなんだったりするんですよ。
だいたい、Yさんで法華講1世の中で最年少というのはちょっとねぇ……。
いや、もちろん非礼千万な発言であることは承知です。
だって、私が入ったら、今度は私が最年少になるわけでしょう?
昔の報恩坊を知ってるだけに、何かちょっと心配になったわけですよ。
20代のお嬢さん方を入講させるにあたって、ちゃんとサポート体制は整っているのかなって。
いや、無宗派の戯れ言で失礼致しました。
心配「ご・む・よ・う!」
じきに若い女の子たちが「私たちも仲間に入れてくださ~い♡」って報恩坊に列を作りますよ。(^.^)
っていうか、あまり50代以上をいじると「熟女なめんなよ!」とぶっ飛ばされますよ…。
まぁ、一度火が付けば20代は当然のことながら10代の子たちだって自然と集まってきますから大丈夫です。
それと、うちはまだ支部結成前ですから講頭職もまた誰も座っておりません。やる気のある若い子が「私にやらせてください!」って手をあげれば全国最年少の講頭さん誕生ってのもあるかもしれませんよ。
>しかし、いざ報恩坊さんに招き入れた時、その若い人達を守る体制が整っていなければダメだと思います。
私は熟女も好きですが、若い子は自分の娘のようでもっと好きです。潰そうとする人がいれば、「俺の娘に手を出すな!!!!!」と身を張って娘を守るオヤジになりますから心配しないでください。
「男の子は?」
「お察しください。」
ですね。
管理人様、こんばんは。
そもそも法華講の青年部って何歳までなんでしょう?
御授戒受ける時、非常に悩みました。
周り見て、
「まだ青年部でもいけるかも?」
とか。
うちの地元はそもそも高齢化進んでるので、法華講だけじゃないから法華講の高齢化は平常運行?です。
そのあたりの線引きは支部によってまちまちだと思います。
「既婚」「未婚」を物差しにするのか、年齢で線を引くのか…。
ただ、50代60代で青年部というのもまたおかしなものですから、その両方をかんがみて割り振っているのではないでしょうか。
夏期講習会で青年部対象の回になるとやはり若い子たちの姿が多数ですから、どこのお寺もそれなりにはちゃんと割り振っているとは感じます。
顕正会の会館がそのままどこかのお寺の支部になっていると仮定すると、ほぼ9割がたは青年部になるでしょうね。