前回は渋柿のたとえで煩悩と仏性の関係を考えてみました。
今回はそこから一歩進めて、我々の心の中にはあらゆる可能性が眠っていることと、それは縁によって引き出されるのだということについてお話ししてみましょうね。
バイオリン
煩悩と仏性については渋柿を例えにしてみましたが、一念三千を理解するには楽器を例えにするのが分かりやすいかな?
ってことで、今回はバイオリンをテーマにしてみましょうね。
バイオリン…、
楽器は総じてそうですが、それ自体は美しい音色を奏でる可能性も秘めていれば、騒音と感じてしまう音を出してしまう可能性もまた秘めているものですよね。
その違いはどこにあるのかと言えば、
それを手にする人の力量に左右されるわけです。
つまりバイオリンを我々人間に例えれば、それを演奏する人は私たちの胸中に冥伏する十界を引き出す「縁」になる…、ということなんですね。
とりあえずは実際の音を動画で見てみましょうね。
まずは私みたいな素人さんがバイオリンを手にしてみた時の音はこんな感じでございましょう…。
ご本人さんは一生懸命ひいているのでしょうが、どうしてもこのような音になってしまうかと思います。
一方で同じバイオリンでも演奏する人(縁)が変わると、こんなに活き活きとしたメロディーが奏でられ、私たちの魂を揺さぶるわけです。(バブル世代の奥様方にはうけるかも…。)
どうでしょうか?
バイオリンというのは人を不快にさせる音を出す可能性もあれば、人を歓喜させる音もまた出す可能性があるということは実感できましたでしょうか?
バイオリン自体が良いだとか悪いだとかいうことではないですよね。
それを手にして演奏する人の良し悪しで結果は天と地ほども変わってしまうということなんです。
私たちの胸の中にある十界もまた同じ道理で引き出され、そして結果を天と地ほども差のあるものにしてしまうのがこの仏法の真実なのだということを今回は覚えて頂けると嬉しいです。
キーワードは「縁」なんですね…。
一念三千は我々にも当てはまる
上記で触れた一念三千という言葉は顕正会の皆さんも御観念文で知っていると思いますが、これはけっして大聖人様のみのものでは無いのですね。
その概念は私たちの胸中においても同じ道理が働くわけです。
それを知っているのが賢人であり、それを知らぬのが凡夫なのです。
そしてそれを知ることにより「成仏」はかなえられ、知らないままであれば地獄から天界までの六道をグルグルと迷走するスパイラルから抜け出せませんよ。というの大聖人様の言いたかったことなんですよね。
ってなわけで、顕正会のお嬢さん方もその仕組みをもっと知りたいと思いませんか?
あなたの胸の中に眠っている可能性をもっともっと引き出して素晴らしい人生を謳歌したいと思いませんか?
そんな気持ちになったら是非ともお声掛けくださいませ。
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