いろいろな宗教があるけれど

絵でみる 日蓮正宗の信仰

 

一 、 いろいろな宗教があるけれど

 

世の中にはたくさんの宗教があります。

 

では、宗教なら何でもよいかといえば、けっしてそうではありません。“信仰する”ということは、拝む対象と一体になろうとする行為ですから、拝む対象が私達の生命の奥にまで入り込み、私達の人格や行動までも左右するのです。

 

また、宗教の及ぼす影響というものは、たとえ本人が「自分は無宗教であるから関係ない」と思っていても、そうはいきません。私達の生命は、両親(ひいては先祖)の身心を分けて生まれてきたものですから、過去に先祖が信仰していた宗教の影響は、確実に私達の生命へと引き継がれ、各々の人生の上に、その家の宗旨の影響が必ず現われます。

 

ですから、宗教は何でもよいのではなく、まず、正しい宗教を選ばなければ、世の中や家の中に、いろいろな悪い影響や問題が起こってくるのです。

 

たとえば、「商売の神様」などといわれる稲荷信仰をはじめ、畜生を拝む宗教がありますが…

 

動物を拝むと、人格や行動が動物に似てきます。

 

「ヘビ」や「狐」などの畜生を拝む宗教があります。

 

このような下等な畜生を信仰すると、心が通じて、私達の人格や考え方、行動、さらに人相までも、その動物に似てきます。

 

本来ならば、過去と未来を考え、理性をもって生きられるはずの人間が、畜生を拝むことによって、計画性や道徳心が欠落し、その場かぎりの、本能で行動するような、人間失格の人生をおくることになるのです。

 

また、死ねば神様になれるとか、仏になれる、などと教えている宗教もありますが、そうした教えは苦しんでいる人を死に追いやったり、信ずる人を自殺に導くことにもつながります。

 

神道などにおいては、昔の英雄や偉人を、神として祭ったりしていますが…

 

普通、英雄や偉人というのは、戦争や、何がしかの学問において、秀でた功績のあった人のことです。英雄や偉人であるからといって、人生における病気や悩みを完全に解決できた、というわけではありません。むしろ人間である以上、常に悩みや苦しみがつきものであったはずです。

 

そうした英雄や偉人が、死ねば神様になってしまう、などということは大いに不合理です。来世は現世の続きですから、死んだからといって、悩みや苦しみから解放されて神になるわけがありません。

 

いかに英雄や偉人といっても、亡くなった人は神や仏として信仰される対象ではなく、追善回向する対象なのです。

 

また、道徳や倫理を取り入れ、さも立派そうに見せていても、架空の神仏や、筋道の通らない教えを立てる宗教がありますが…

 

これを信ずれば、偽善者や二重人格になったり、実生活で実りのない、悪い結果の人生となってしまいます。

 

およそ世の中の物事には、すべて起こり(原因)があるのです。

 

私達も、両親から生まれてきました。ところが、キリスト教でいう神様などは、親もなければ、生まれてくる原因もない、というのです。

 

このような神は、まさに矛盾の固まりであり、人聞が無いものを有るとして、頭の中で考え出した架空のものなのです。

 

このような架空の神を立てる宗教に、悩み多き私達の人生を救う力など、あろうはずもありません。

 

新興宗教の多くは、教祖やそれを取り巻く幹部たちの…

 

金儲けや名誉欲・権力欲のために、宗教を道具にして、人々を惑わしています。

 

ほとんどの新興宗教において、“神の啓示を受けた”などと主張していますが、それらの啓示は、なんの証拠もない教祖の「夢の中」のお告げであったり、発狂した教祖が神がかって口走った戯言にすぎません。

 

狂った言葉を信じて尊べば、自分の人生まで狂ってきてしまいます。

 

 

(絵で見る日蓮正宗の信仰 2~6ページ)

 

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