信心の血脈に関して(日顕上人猊下御説法 S62 4/6)

日顕上人御指南

Twitterにて、「信心の血脈」に関して昭和62年の御虫払いにおける御隠尊猊下の御説法がやり玉にあがりましたので、ここに全文を紹介いたします。




なお、学会等が引用した部分は黄色のマーカーを施し、それが悪意のある引用である証拠は赤字で示しました。




霊宝虫払大法会 御法主日顕上人猊下御説法 三大秘法抄




『三大秘法抄』にのたまわく

「此の法門は理を案じて義をつまびらかにせよ、此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の禀承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」 (全集 1023㌻)

(題 目 三 唱)

 

本年度、総本山恒例の霊宝虫払大法会に当たり、法華講総講頭・池田先生ほか創価学会、法華講信徒幹部、ならびに一般信徒多数の御参詣により、今、明日の二日間にわたり盛大に奉修つかまつることは、まことに有り難く存ずる次第であります。




この霊宝虫払大法会に当たっては、例年、総本山において古来より格護申し上げるところの数々の霊宝、なかんずく宗祖大聖人の御真筆御本尊、日興上人以下歴代御本尊、ならびに御真翰その他重要古文書の御風入れを行い、もって霊宝ならびに古文書類の永代保存を図るかたわら、有縁信徒の参詣により、宗祖大聖人、日興上人以下歴代御化導の御跡を拝し、もって下種三宝の御恩徳に報じ奉り、僧俗一致して正法広布の誓いを新たにするところにその意義があると思います。




その数多の霊宝のなかで特に深い意義を拝すべきは、大聖人より日興上人へ授与された霊宝御本尊についてであります。すなわち、本門戒壇の大御本尊を始め奉り、明日、御風入れ申し上げる弘安三年三月御顕示の通称・紫宸殿の御本尊、その他弟子檀那に賜った各真筆御本尊、さらに、これは総本山ではありませんが、我が宗門の本山保田妙本寺に格護される重宝、通称・万年救護本尊等、宗祖大聖人が御化導のそれぞれの時機における重要な意義をもって顕された幾多の御本尊が現存いたします。




そのなかの特に重要な御本尊は日興上人へ御授与あそばされたのでありますが、その特徴として、御本尊の授与書きがなく、お受けあそばされた日興上人の御名が認められていません。通常、他の多くの御本尊は、大聖人の御弟子、または檀信徒への授与の場合、その名前をお認めあそばす授与書きがありますが、これは個人に賜った、いわゆる一機一縁の意味であります。かの六老僧中、日興上人を除く五人までは個人授与の本尊が残されていますが、日興上人に対しては個人授与の本尊は全く残されておりません。すなわち、それは存在しないのであります。




その理由は、大聖人、日興上人が唯我与我一体の御境界にわたらせ給い、その上から一期御化導の中心根幹をなす、末法万年の一切衆生救済に関する大事な御本尊を広宣流布のために日興上人に委ねられたからであります。




しからば、その唯我与我一体の御境地の因ってきたる所以は何かといえば、『生死一大事血脈抄』に




「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」

(全集一三三八㌻)




と仰せの如く、日興上人がよく大聖人の出世の本懐たる本門三大秘法の深義における法門と法体について、質直にして柔輭、一心に末法下種の本仏の教詔を拝されたからであり、信心の血脈によって凝りなく大聖人の究竟の御境智を拝し、その智水の全分をことごとくお受けあそばされたからであります。




以前からたびたび申したことでありますが、大聖人の末法万年の一切衆生救済の大慈大悲、その究竟の法体法門は、五段の相対、教相観心、宗教の五箇、宗旨の三箇、文上文底、本地垂迹、自行化他、甚深の口伝、血脈等あって容易にうかがい知れぬところであり、大聖人もまた御弟子方の機根を深く御覧あそばされました。故に、大聖人の一往の義を信解した弟子であっても、再往の深義を信解できない者に対しては、既に一往順縁の姿があり、かつ末法万年弘通の始めであるため、強いて再往の深義を説き聞かせて、弟子が信受せず、謗りの逆縁を結ぶことをむしろ避けられたのであります。




故に、大聖人の御弟子達に対する御慈悲は、基本的に平等ではあっても、そのすべてに等しく究竟の教えを垂れ給うことはありえなかったのであります。『報恩抄送文』の




「親疎と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ御心得候へ」
(同三三〇㌻)




の文は、法門について弟子檀那の機根を御覧になり、説・不説について慎重に熟慮あそばす御用意が拝されるのであります。




したがって、大聖人が重々の大事、本懐の法門を示し給う段階においては、その対告衆はごく限られた入室体信の弟子のみでありました。これは、大聖人が意味なく彼此の区別をされたのではありません。大聖人が本門を弘通する上行菩薩の出現におわしますことも、天台、伝教の理の法門に執われる当時の仏教思想界の教風に馴れた弟子達の多くには、現実問題としての事の法門法体に対し疑いなく信解することは実に難しかったのであります。すなわち、『観心本尊抄』をお預りした富木氏自身、上行菩薩が日蓮大聖人でおわしますことを示す同抄の主意が解らなかったことこそ、その実例であります。まして、その上行菩薩の内証の辺、すなわち本門の本尊の実体を明らかに示すことは難事中の難事でありました。故に、『三大秘法抄』に




「予年来己心に秘すと雖も此の法門を書き付て留め置ずんば門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加う可し、其の後は何と悔ゆとも叶うまじきと存ずる間貴辺に対し書き送り候、一見の後・秘して他見有る可からず口外も詮無し云云」


(同一〇二三㌻)




と大田金吾殿に書き送られた文を正しく拝すれば、大聖人の深い正意に至らざる弟子達こそ、将来において弘通の妨げになることを見透され給うたことが拝されます。




したがって六老僧中、五人までが大聖人の真実本懐の法門に達し得られなかったことは日興上人御記述の『富士一跡門徒存知の事』に明らかであり、そこには本迹の相違についての自覚の有無、宗旨の名称問題、戒の問題、特に本尊に関する造像と大漫荼羅本尊の違い等を指摘されて、その宗祖違背を責められております。




故に、血脈相承とは、信心の血脈がその基をなすのであり、その信心の血脈によって仏の本地甚深の境智に基づく法体法門の血脈が、一器より一器へ流れ通うのであります。日興上人が大聖人に信心の血脈を通じて即身成仏の大法を承継された如く、日興上人の弟子檀那僧俗は、日興上人に信伏随従して大法についての信心の血脈を得、師弟不二の境地に至って成仏の本懐を遂げられたのであります。




また、日興上人より日目上人、日道上人と縦に付嘱される血脈は、その時代時代における僧俗一同と化儀化法において一体の信解に住し、魔障を払い邪義を破し、正法の令法久住と興隆に努めるとともに、それぞれ下種成仏の本懐を得られたのであります。




しかるに、宗祖大聖人より日興上人への血脈相承を否定する者達の言として、宗祖の法門は一切に通ずる信心の血脈が大事であり、もし唯授一人血脈相承なるものが別にあるなら成仏の道は貫主一人だけに限ることになり、一般の僧俗に通じない偏狭なものであるとの批判がありますが、これは信心の血脈の何たるかに迷う偏見であります。




したがって、この主張は信心の血脈について明らかに二つの誤りを犯しております。法華大法の信心の血脈には、縦に甚深の義と、横に広大の義が同時に具わっております。甚深の義については、宗祖大聖人の甚深の寿量文底の法体に至るまでの一切の仏法を受けきるところの信心の血脈あって、初めて真実の仏道が伝承されるのであります。また、広大の義については、この信心の血脈はけっして法主一人でなく、正義を伝承する僧俗一切が、その信条、法門について一体の信心を保ち、化儀の実践をなすところ、法水相通じて信解得道全く等しく、無量の民衆が即身成仏の本懐を得るのであります。




故に、大聖人より日興上人への唯授一人の血脈を否定する者は、信心の血脈における甚深の義に背く者であり、また、日興一人のみの偏狭な血脈と謗る者は、信心の血脈が一切を包容し、十界皆成する広大の義に盲目であることが指摘されます。




実に日興上人は、法門法体に関する大聖人仏法の一切を、信心の血脈を根底とする信解をもって如実に伝承あそばすとともに、常随給仕のかたわら、末法万年の広布の実相について大聖人の御物語を拝承された故に、重々の相伝と御本尊伝承が拝される所以であります。




さて、本日は、この機会に総本山に格護される御本尊のうち、戒壇の大御本尊を除いて随一の重宝たる弘安三年三月御顕示の通称・紫宸殿の御本尊の御事につき、少々申し述べたいと思います。




紫宸殿の「紫」はむらさき、「宸」は建物の軒の意であり、また帝王の居処をも意味いたします。『故事要決』には、中国の古代の帝王・堯王が生まれた時、諸天が紫の雲に乗ってその王閣を巡った故に紫宸殿と名づけられたということが出ております。日本において、紫宸殿は平安朝以降における内裏の正殿であり、諸官の朝賀や朝廷の政務儀式が行われた所であります。




したがって、往昔の時代、法皇、天皇等の信仰される仏教宗派の法式をもって国家のための祈祷等が行われました。かの承久の乱の時、京都朝廷は北条義時調伏のために、天台の高僧に命じ真言秘密の法による祈祷を紫宸殿において執り行った結果、「還著於本人」の咎によってたちまちに朝廷方が敗れたことを、大聖人様は『真言見聞』『本尊問答抄』『神国王御書』等、各所に指摘されております。このようなことから、国家存亡の時、もし京都朝廷にあって仏法の正邪を撰ばれし暁は、末法に弘まるべき法華本門の大法をもって紫宸殿において祈念することも肝要なりとのお言葉を、日興上人との間に御物語りあらせられたか、との想像もできうるのであります。




ただし弘安三年三月の右真筆御本尊の伝承による名称は紫宸殿の本尊でありますが、その御本尊の中にかかる名称は全く記されてありません。また、四十八世・日量上人の『富士大石寺明細誌』に




「蓮祖真筆大漫荼羅(乃至)紫宸殿の本尊と号す、伝に云く広布の時至りて鎮護国家の為に禁裏の叡覧に入れ奉るべき本尊なり云云」(


富士宗学要集五―三三五㌻)




とある如く、この名称に基づく意義は、「伝」、つまり言い伝えであるとされております。




そこで紫宸殿の本尊とは、実は「師資伝の本尊」という名称が転訛したものとの義があります。大聖人より日興上人への師資伝授によって正法正義が恙なく今日に至っておることによるも、相伝の法体ならびに広布に関する重要な本尊が、師より弟子へ伝える、いわゆる師資伝授の意味をもつことは当然であり、したがって、師資伝なる名称が、特に大聖人、日興上人の大法伝授の意義の上から適切な名称ともいうべきであります。しかし、これについて比較して、その是非を論ずる必要はないと思います。




要するに、その元意においていえば師資伝の本尊の意義であり、また我が国古代における国家と仏教との関係より展望された国家救済の大慈悲からの伝承によれば、紫宸殿の本尊と称されてきたのであります。




しかし、大聖人の広布に関する御本意は、『立正安国論』の御真蹟中、「くに」の文字において、囗がまえの中に玉、または或字を書き給うはわずかに十五字であるに対し、囗がまえの中に民の字を書き給うは実に五十数字にわたることにおいて、民衆中心、民衆による仏法弘通の御意が拝されるのであります。




また現在、紫宸殿そのものは京都御所に存し、皇室の重要な即位式等は行われるにせよ、皇居は東京に移られており、現憲法の規定よりするも仏教と皇室の関係は奈良、平安の古とは全く異なり、加うるに政教の分離も確定しております。つまり、種々の実態、実情が全く違っているのであります。




以上より現在の民衆による広布の実際的現証を考えるとき、名称は紫宸殿の本尊ながら、信仰眼においては大聖人より日興上人への師資伝授の本尊であり、民衆の広布推進の精進を深く鑑み給い、かつ守護し給う本仏・大聖人の大慈悲によって顕され、広布達成、国家鎮護の元意をもって伝承されている本尊と拝し奉るべきであります。




さて、ここで大聖人様の御法門における相承の筋道について、その外用と内証を拝したいと思います。




『顕仏未来記』に

「但し今夢の如く宝塔品の心を得たり、此の経に云く『若し須弥を接つて他方の無数の仏土に擲げ置かんも亦未だ為難しとせず乃至若し仏の滅後に悪世の中に於て能く此の経を説かん是れ則ち為難し』(乃至)『天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し・叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す』等云云、安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す三に一を加えて三国四師と号く」


(全集五〇九㌻)




と、いわゆる「三国四師」の相承を示し給うのであります。これは、大聖人の法門においては外用の相承をお示しあそばされたのであります。




釈尊は、出世し給いて十九出家・三十成道の後、爾前四十余年の間に華厳、阿含、方等、般若等の方便を説かれましたが、御年七十二歳にしてまさに出世の本懐たる法華経を説く時機が至り、永不成仏といわれた二乗が仏となる大法、のみならず、爾前経において女人や一闡提人等の成仏できがたい衆生も、ことごとく仏となる妙法蓮華の大法を開説されました。しかし、この教えは一代教中、前四十余年の経々と全く異なるため、ともすれば疑いが起こりやすかったのであります。この衆生の疑いを破らんがため、宝塔品において多宝塔が涌現し、多宝如来の大音声による真実の証明が行われました。すなわち、方便品以下の迹門正宗八品に説かれた二乗作仏の法門が真実であることについての証明であります。




しかし、仏の化導の大目的は諸法実相の法門による名のみの二乗作仏でなく、その実義を顕すとともに、女人、悪人、さらに菩薩や凡夫に至るまでの一切衆生を現当二世にわたって救うところにあります。そのためには、一代教法の本源を開き、釈尊久遠の成道を説かねばなりません。その意義を含めて釈尊は、宝塔品において後の本門の説法を起こすために多宝塔を開き、分身の諸仏を召して、この法華経を正像末の三時にわたって久しく住せしめんがため、六難九易の難事を説き、しかもこの妙経の付嘱を前提として滅後の弘経を策励されたのであります。




これに基づいて、勧持品には八十万億那由佗の菩薩が仏の慈念力に励まされて仏前に師子吼し、三類の強敵を予証しつつあらゆる苦難に耐え、この法華経を仏滅後に弘通せんことを誓願したのであります。しかし、不思議にも釈尊は答え給わず、超えて本門涌出品に入って過八恒沙の菩薩方が先の宝塔品の勧募策励に基づき、さらに法華経をこの娑婆世界において説くことを願ったのに対し、釈尊は、あの有名な「止みね善男子」の言葉をもって止められ、地涌の菩薩を召し出されました。この地涌の出現によって釈尊の始成正覚についての衆生の認識が動執生疑し、ついにその妄執を打ち破る本門寿量の開顕がなされたのであります。




その後、本門寿量に関する功徳と修行の相等が分別功徳品以下に説かれ、特に神力品において滅後のため、本門の大法を要に結んで地涌の菩薩への付嘱がなされました。また、次の嘱累品においては、法華一経を中心とする釈尊一代の経々を滅後それぞれの時代に応病与薬として、一切の菩薩等に付嘱されたのであります。




さて、先に挙げた『顕仏未来記』における釈尊より天台、伝教、日蓮という三国四師の相承は外用の相承次第を示されるのであり、その根拠は右に述べたなかの塔外嘱累品付嘱の筋によられたものであります。この嘱累品付嘱について、釈尊より薬王・天台への法華一経付嘱が存し、また、天台の後身ともいわれる伝教大師へ法脈が伝承されて日本国の法華弘通がなされ、さらに上三師に相承を受け、宗祖大聖人が法華経を日本に弘通せられる法脈を示し給う意味が存するのであります。よってこれは法華文上の弘通相承の範疇であります。




すなわち、宗祖の仰せられた三国四師の相承系列は、塔外嘱累品における一経付嘱の上からの地涌の菩薩の関与の分を述べ給うのであり、その範囲では、先師天台伝教の跡を受ける道理が存するのであります。しかるに、塔内神力品の要法付嘱については、もともと迹化天台伝教の与り知らぬところであり、冒頭拝読の『三大秘法抄』の如く本化別頭の法門であります。




この神力品の付嘱は、いわゆる四句の要法であり、天台大師はこれを名体宗用教の五重玄に解釈しておりますが、要するに、名とは「如来一切所有之法」についての義であるから法の表示であります。また、体は「如来一切秘要之蔵」、宗は「如来一切甚深之事」、用とは「如来一切自在神力」についての義であり、その名を悟るところに自己ならびに一切を妙法と開いた人格的存在と力用、すなわち人が存するのであります。法は遍満するも、人がこれを悟らねば法の存在は空しく、人もまた法を悟らねば単なる迷いの凡夫にすぎません。この法が人に具わり、人に法が備わるところが本門の妙法本仏の実体実義であります。




さて、釈尊は上行等の地涌に如来一切の名体宗用を要に結んで付嘱されましたが、この要法の正しい指南は末法に出現する上行菩薩に委ねられております。すなわち、神力品の偈の




「仏の所説の経の 因縁及び次第を知って 義に随って実の如く説かん」

(開結五八四㌻)




との文がそれであります。故に、この要法については、天台、伝教の釈より末法出現の上行菩薩・日蓮大聖人の御指南を中心とすべきであります。




すなわち、『本尊問答抄』『諸法実相抄』『秋元御書』その他において久遠下種の妙法に対し迹本二門の釈尊も共に迹仏となることが示されており、宗祖大聖人の弘め給う妙法と釈尊の寿量品に種脱の相異が拝されるのであります。それは釈尊自身が脱益の化導であるに対し、御自身の内面の深い証りにおける久遠当初の下種の法体を上行菩薩へ付嘱なさることを意味します。




故に、また『観心本尊抄』の後段において、迹化を止め本化を召す前三後三の六釈の義を詮要される文に




「所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず末法の初は謗法の国にして悪機なる故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」


(全集二五〇㌻)




と、付嘱の真意を顕されております。すなわち、この内証の寿量と示された妙法蓮華経の本仏本法は、久遠の本源における本因妙の法体であります。




大聖人はこの大事につき、『総勘文抄』『当体義抄』等に明確にお示しでありますが、特に『三大秘法抄』に要言の法たる結要付嘱の法体を説かれるに当たり




「釈尊(乃至)法華経の広開三顕一の席を立ちて略開近顕遠を説かせ給いし涌出品まで秘せさせ給いし実相証得の当初修行し給いし処の寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり」


(同一〇二一㌻)




と説かれました。この文の「当初修行」の四文字こそ、本門寿量品における「我本行菩薩道」の文底、久遠元初の本因の行妙に約して本地難思の境智を示され、これを直ちに末法弘通の法体たる三大秘法に開かれております。




すなわち、釈尊より上行菩薩への付嘱の意義は、実に久遠元初本因妙の人法本尊たる資格の譲与であったのであります。その義を顕すための末法出現であるからこそ、宗祖大聖人が深秘の法門として本因と本果、種脱のけじめを示され、かつ本因下種の法体たる御本尊を顕し給い、しかも一切の弟子等、怨多くして信じ難き故に、独り唯我与我の境地にある日興上人にその法門および末法万年化導の一切を相承されたのであります。




さて、『百六箇抄』に、

「久遠名字の時・受る所の妙法は本・上行等は迹なり、久遠元初の結要付属は日蓮今日寿量の付属と同意なり」


(同八六五㌻)




との文は、久遠本因妙元初における仏法が必ず付嘱によって伝承するという本質鉄則を示されるとともに、その法体も本因元初の妙法本尊であること、かつ上行の迹を払って日蓮の御名による付嘱を示されるのは、その結要付嘱の法体も本因元初の妙法本尊に即する三大秘法であるとの意であります。故に、その付嘱の法体全く同じであるから「同意なり」と仰せられたのであります。




しかして、この久遠元初の三宝が末法に出現し、宗祖大聖人より日興上人へ唯授一人の付嘱をあそばすことこそ、久遠即末法の義において全く久遠元初の結要付嘱であり、三世常住にその法体は不変であります。故にまた、その意を含んで「同意」といわれるのであります。したがって




「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり云云」


(同一六〇〇㌻)




の文こそ、末法弘通の一切の法門法体の深義を束ねて日興上人に付嘱あそばすとともに、本門弘通の大導師たる任を委ねられ、師資の血脈を示し給うのであります。




この唯授一人の血脈も、その基本的本質は前来述べる如く信心の血脈に存します。かの五老等の人々は、この宗祖弘法の根本に対し二而不二の境地に至るべき信心の血脈が通じなかったために、宗祖本懐の法門について正理に契合せず、したがって、極意の相伝を受けられた日興上人に同心なしえなかったのであります。しかるに、末法万年の衆生救済の仏法においては、僧俗を問わず、この根本の一器より一器への相伝に対する信解が確立するところ、即身成仏の大法とその利益は縦横無尽に開花し、顕現するのであります。




いわゆる、信解抜群にして宗祖二祖の信心の血脈を疑わず、勇猛精進するところ、僧にあれ、俗にあれ、僧から僧へ、また俗から俗へ、さらに広くその信心の血脈を伝えつつ展転して衆生を利益することが下種仏法の相であります。




その一大実証は、近年、正法の日本ないし世界広布の礎を開かれた、創価学会における初代、二代、三代等の会長の方々における信心の血脈の伝承であります。その指導による広布の大前進において、有智も無智も男女を嫌わず、妙法の実践をもって真の勝妙の境を得、仏国土の建設と、世界平和に貢献する活動の実証において、深く広くその意義と功徳が顕れております。この信心の血脈は、古来よりの法華講の信心の歴史においてもまた多く見ることができます。




要するに、日蓮日興唯授一人の相伝血脈は、その信心において万人に通ずるのであり、かかる信心の血脈が正法の僧俗一切の行学の根底であります。故に、大聖人より日興上人への血脈が貫主一人しか解らぬ独断的、偏見的な仏法などというのは血脈の真義を解せぬ者の囈言であり、信心の一念に法水が流れるところ、有智、無智を問わず、万人のために即身成仏の功徳が実証として開かれているのであります。




総本山開創七百年を数年後に控え、正法興隆と報恩謝徳のため、本夕お集まりの皆様方ならびに本宗僧俗の一層の御精進と信解倍増を祈り、本日の法話といたします。




(大日蓮 昭和62年5月号 26~47ページ)




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