顕正会会長の浅井さんは自身の終活…、「人生の終わりのための活動」としてニセ本尊作成を正当化しようとしているようです…。
それは先般も引用しました、
六月の総幹部会で、宗門末寺の一住職の、何とも呆れた言動が報告されましたね。
広宣流布・国立戒壇も信じない、御生骨も信じられないという坊主。これはもう信心がないのです。
だから大聖人様の御命に繋がってない。大聖人様から見れば、彼らは赤の他人なんです。こういうのは成仏できない。
いま顕正会員は血の通った仏弟子であるから、「御生骨」の大事を聞いて直ちに「大聖人様は生きてまします」と大歓喜し、語り合い、それを他人にも教えている。
職業坊主の頭にあるのは寺の収入だけ。顕正会はおカネのことなど眼中にない。ただ悩みとするは広宣流布の前進だけですね。
この悩み、三悪道の悩みではない、菩薩界の悩みです。こんな贅沢な悩みはない。
そこにいま私たちは本当に有難い。広宣流布以前に御生骨のことで大歓喜できるのは、血の通った弟子だからです。
大聖人様の御命につながらなければ、成仏は叶わない。赤の他人です。
ゆえに生死一大事血脈抄には
「信心の血脈なくんば、法華経を持つとも無益なり」と。
大聖人様と血が繋がっていなければ、たとえ御本尊を持っていても無益であると仰せ下さるのであります。
(顕正新聞 平成28年7月25日号 2ページ)
これらの発言を見れば、血脈は顕正会のみに流れている、ゆえに本尊を作ることも許されるのだという結論に持っていこうとしているのは火を見るより明らかでしょう。
このような浅井さんの傍若無人な振る舞いを断固として阻止するため、「ニセ本尊を作って何が悪い。」と開き直った学会に対する御宗門の破折文書(「ニセ本尊破折」100問100答)をご紹介いたします。
文中の「学会」を「顕正会」に置きなおして読んでみても、相当の部分が見事に当てはまるかと思います。顕正会員諸氏には今一度冷静になってこの書を読んでいただけたらと思うものです。
それでは次回からアップしますね。
顕正会版日寛上人御本尊をお持ちの方へ
顕正会版日寛上人本尊は本物とは紙質が相違します。
顕正会版は現代の製法で作成される紙を使用しています。
昭和30年代当時の紙を再現するところまでは、さすがの浅井さんでも不可能だったのです。
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