顕正会では事相に約しての事の戒壇を問題にしてきますが、事の戒壇を正確に理解するためには義の戒壇を理解しなければなりません。
そしてこの「事」と「義」も含めた「本門の戒壇」を理解するためには、三大秘法というものをしっかりと腹の中に落とし込まなければ理解は不能です…。
更にこの三大秘法とはなんぞや?という根本的な問題を解決するには「戒」「定」「慧」の三学というものの存在を認識しなければ話は始まりません。
というわけで今回は戒定慧の三学と三大秘法のお話をしてみたいと思います。
戒・定・慧 の三学
そもそも仏様の願いというものは「一切衆生の成仏」にあることは皆様ご承知のことと思います。
インドのお釈迦様はそのために50年にわたる長い時間を費やして人々に法を説かれたわけです。その説かれた法は経典となって後世の人々に語り継がれているわけですね。
つまり、お釈迦様の残されたお経というものは人々が成仏していくための修行方法を顕されたものであり、その内容を実践していくところに私たちの目指す成仏というゴールがあるわけです。
そして、この内容は上記の「戒」「定」「慧」に関して説かれたものであり、お経というものはすべからくこの「戒・定・慧」の三学に関して述べられているものなんだということをまずは認識してください。
不幸の原因は煩悩
煩悩を破す行程
世間でも、「自分自身の心が幸も不幸も招き寄せる根本原因なんだ。」という事に気づき始めているようですね。
つまり不幸な結果(苦)が起きるのは我が胸中の「煩悩」から発せられる「業(行動)」によって起きるわけですから、この「煩悩」をなんとかしちゃえば良いんだ…。っと、ここまでは世間の人々も理解できているんですよ。
けど、それを具体的にどうすれば良いのか…。ということになると分からない…。だからそれぞれ勝手なことを言っているのですが…。
実はお釈迦様はそれに対して明確な指針を示されているわけです、それが「戒・定・慧」なんですね。
この三学の相互関係は
「三毒(貪・瞋・癡)の勃興するは要(かなら)ず心の使(煩悩)に由る。今先ず戒を以て捉え、次に定を以て縛り、後に慧を以て殺す、理次然るをや」
と南山律師道宣が述べられております。言い換えれば、
「戒律を守ること(戒)によって禅定を得(定)て、禅定を得ることによって智慧(慧)を発し、智慧が発することによって惑(煩悩)を破して仏道を証得する。」
ということなんですね。つまりこの三つがあってこそ煩悩は退治でき、成仏が叶うということなんです。
三学(戒・定・慧)の相関関係
日寛上人は依義判文抄において
「凡そ戒定慧は仏家の軌則なり、是の故に須臾も相離るべからず。」(六巻抄 85ページ)
と申されています。また大聖人様も四信五品抄に、
「在世滅後異なりと雖も、法華を修行するには必ず三学を具す。一を欠いても成ぜず。」(新編 1111ページ)
と仰せになっておりますように、この三学はお互いに助け合いながら衆生に仏道を証得せしめていくわけですから、どれ一つとってみても切り離すことは出来ないわけです。
ここまでの話で不幸の原因は「煩悩」、その「煩悩」を滅するためには「戒・定・慧」を以て為していくのだというのがお釈迦様の説かれた道筋なんだということはご理解いただけたことかと思います。
三大秘法
インドのお釈迦様の説かれた法で利益のあった時代はそれでよいわけですが、末法に入ってからはそれでは成仏得道出来ないということは顕正会の皆さんもよくよく御存じの事でしょう。
それゆえ大聖人様はこの「戒・定・慧」という三学を「本門の戒壇・本門の本尊・本門の題目」という三大秘法として後世の我々にお遺し遊ばされたわけです。
御義口伝に
「此の本尊の依文とは、如来秘密神通之力の文なり。戒定慧の三学、寿量品の事の三大秘法是なり。日蓮慥かに霊山に於て面授口決せしなり。本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云」(新編 1773ページ)
と仰せになっているのは、三大秘法が根本の戒・定・慧であり、上行所伝三大秘法口決にあるように久遠元初の法は当然のことながら一大聖教の全てを含めたところの、「本尊に一切の定を納め」「戒壇に一切の戒を納め」「題目に一切の慧を納め」三学の意義はそのまま寿量品文底の三大秘法として帰結するのだということなのです。
つまり、末法における三学とは三大秘法のことである。ということなのです…。
ここまではわかるかなぁ~。
わかんねぇだろうな…。
とりあえず今日はここまで
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