私は平成6年~平成16年まで顕正会員でした。
平成16年初頭に本物の大石寺の御僧侶のお話を聴く機会があり、素直に顕正会を離れて日蓮正宗の信徒となりました。その時のお話はこちらです。
それより14年という歳月が経ちましたが、あの時勇気を出して顕正会を離れて本当に良かったと今でも思っています…。(令和6年現在では丸20年になりました…。)
…というよりも、その思いは日を重ねるごとに増しています。
顕正会内部にいては決して知らされない真実…、例えば「遥拝勤行は何ら法門的根拠がない。」だとか、
そこから付随する「顕正会員の心に仏様が宿ることはない。」だとか、
昭衞さんの自分勝手な教義を押し付けられている顕正会員の立場では未来永劫知ることのできなかった本当の大聖人様の仏法というものを知ることが出来る環境に入れたことが何ともありがたいです。
あのまま顕正会員であれば、一生を無為に過ごして、臨終の間際に
「大聖人様がお迎えに来ない…。」
と嘆くに嘆けない声を漏らしていたことでしょう。
そんな私にも顕正会の活動家として過ごしていた若い頃がありました。
というわけで、初心に帰るためにも今から14年前…、10年ひと昔といいますが既に干支も一回りしてしまったような昔の文章をアップしてみたいと思います。私のプロフィール代わりに読んでいただけると幸いです。
元顕正会本部職員のHP(妙観講、渡辺さんのHP)
私はストレートに顕正会に入りました。いわゆる学会や法華講や正信会などの団体に所属した経験が無く、まっさらな状態で顕正会に入ったのです。現在の顕正会の若者は殆どがこのパターンかと思います。
故に大聖人様の仏法に関しては顕正会で教えられた知識しかなく、また他団体はすべからく誤っていると教えられていたため、他から学ぼうという気もおきませんでした。(というより、どこに行けば正宗の書物が手にはいるのかも分かりませんでした。)
そんな状態でしたので、数年前に初めてネットで学会や法華講の方々のHPを見たときは非常にショックを受けました。
いままで、絶対であると信じてきた浅井会長、および顕正会に対してこれだけの誹謗中傷があるのか…、と。
しかし、それらの殆どは真偽の程も定かでない単なる誹謗中傷のように感じられました。しかし、その中でひときわ目をひく、いや目を釘付けにされたHPがありました。
それは元顕正会本部職員であり、現在は法華講員となられた方の書かれた手記でした。今でも検索出来ますのでご覧になられた顕正会の方も多いことでしょう。(これは妙観講の渡辺さんが作成したHPでした。現在では閲覧できないのではないかと思います。記事は平成16年当時のものをそのまま掲載しています。)
はっきり言って「ヤバイ!」と感じました。当時私は副長職を拝命しておりましたので、これを自分の班員さんに見られたらかなり組織が揺らぐなぁと心配しました。信心の確立していない者がこれを読んだら一発で退転するだろうとも感じました。よって、班員さんには一切その存在を知らせずにおりました。(けど、自分はしっかりと端から端まで熟読しましたが…。)
ただ、その時の私の感想は申し訳ないことですが、このHPを書かれた方は浅井会長に対して、顕正会に対して相当の恨みがあるんだなぁ。だから、そういう目で見るからこんなにもひねくれた文章がかけるんだ…、と解釈しておりました。故に一番大事な罰や功徳については書かれていないじゃないか…なんて。
けれども一方、ここに書かれていることが真実ならば、えらいこっちゃ!とも感じたものです。我々一般の顕正会員にはうかがい知ることの出来ない浅井理事らの裏の顔が、顕正会の裏側が赤裸々に書いてあったのですから。
しかし、元来お人好しというか、のんびりしているというか、ちょっと鈍くさい私にはこんなこと真実じゃないよな!なんて勝手に解釈して、そのままこのことに関して深く検討することもなく忘れ去ってしまったのです。
しかし、それから数年後、平成14年。ひょんなことから、またこの手記と出会うことになったのです。そして、これが今まで体験したことのない強烈な現証の体験へと繋がったのです。
「顕正会のいうこともこんなに間違っている」との出会い
平成14年の11月だったと思います…、年末の広布御供養に参加するよう班員さんのご自宅に行ったのです。
「トチロ~さん、これ読んだことある?」
会うやいなや、いきなり先方は一冊の本を差し出してきたのです。
その本の表紙は大口を開けて馬鹿笑いしている浅井会長の横顔が全面に写し出されており、何とも品の無い本だな~というのが最初の印象でした。しかし、パラパラとページをめくるや否や私は凍り付きました。それは数年前にHPで見たあの顕正会本部職員だった方の書かれた本だったのです。内容はほぼHPと同様に思えましたが、・・・・・。
とにかく班員さんに隠しておきたかったものが、反対に班員さんから提示されてしまった。どうしよう・・・。
ページをめくるフリをしながら、何と話しを持って行けばいいか頭をフル回転して考えておりました。
すると、すかさず班員さんはきりだしてきたのです。
「その中にね、富士大石寺顕正会って本がヤラセだって書いてあるんだよ。本当かどうかは分かんないけど、もし真実だったらやってらんないよねー。」
そうなんです。私もその班員さんも、その富士大石寺顕正会という本が出版されたときに、浅井理事(克衞さん)がその本を説明し、絶賛し、購入を勧めていた会合に一緒に参加していたのです。ですから、いかにも他人が書いた顕正会に理解のある本が出版された。いよいよ顕正会も社会に少しずつ認知されてきたのか、広宣流布も甚だ近い!な~んて本気で思っていたのですよ。
しかし、それがヤラセとは・・・・・・。しかも作者は顕正会員だと!
私はいても立ってもいられず、総班長に速攻電話いたしました。そし、この事について質問したのです。そしたら何と、何と、な~んと・・・・・・・・・
「知ってたよ。」
だと。
私は思わず
「ハァー?」(怒)
そしたら、総班長、身の危険を感じたのか、
「いやね、あの会合の時点で、アレッ?て不思議に思ったんだよね。しかし、浅井理事には深いお考えがあってのことかな、と思ってとくに皆には話さなかったんだ。」
これ以上話してもしょうがないので電話を切り、その班員さんと話し合ったのです。
争点はそのヤラセを浅井会長は知っていたのか。知っていたとしたら、顕正会は正々堂々だとの口癖はどうなる?他にもウソの言動はあるのではないか?何故こんなウソをつく必要があるのだろうか?
結局、結論は見いだせずに帰ることにしたのです。勿論その本をお借りして…。
そして、家に帰り最初のページからじっくりと読み出したのです。
正直な感想としましては、恥ずかしながら一つ一つの文証を引かれての顕正会の誤りの指摘については、難しすぎてはっきりとは理解できませんでした。
まぁ、それだけ顕正会員の教学力が無いとのことかもしれません。(私だけか?)
ただ、先日の日記に書いた「富士大石寺顕正会」という本や、戒壇の大御本尊様が御遷座された直後急遽執り行われた幹部会など、当時当に顕正会内部にいた私にとっては顕正会幹部のそれに対する言動を生で見ていたため、その表の姿に隠された裏の真実については、かなりのショックを受けました。
そして、あろうことか顕正会に対して疑問を持ってしまったのです。
それまでも、疑問は抱いておりました。しかしながら、それは顕正会幹部に対するものであり、顕正会本体、浅井会長、浅井理事に対してはまったくもって疑いの心は抱いてはいなかったのです。(幹部に対する疑問、不信感については後日書かせていただきます。)
そして、ドンドン読み進めて行くうちに、突然気分が悪くなり、頭はズキズキ痛みだし、肩もパンパンに張り、それ以上本を開いてはいられなくなりました。
この現証は数年前に顕正会の批判HPを閲覧しているときにも起こりました。なぜかしら、顕正会の批判を目にすると、体に変調をきたすのです・・・・・・・・・。そして、私は本をとりあえず閉じてその日は床につきました。
翌日。
私は朝から顕正会の事ばかりを考えておりました。けれども、その時点では何事も無く通常通りに仕事を進めてまいりました。ところが、お昼ちょっと前でしょうか、突然気分が悪くなり、作業も進めることが出来なくなりました。そのうち、症状はドンドン悪化し、弁当も一口食べたら吐き出し、やがて立っていることも座っていることも出来ないようになり、床に寝ころんだまま、全く動けない状態になってしまったのです。
さらには、携帯電話にかかってきた電話にも受け答えが出来ず、同僚の問いかけにも反応することが出来なくなりました。これは単に体が動かないのではなく、思考回路が完全にストップしてしまったのです。
皆さんも今一度、会話をするときの順序を考えてみてください。通常他人と会話をするときには、
相手からの問いかけ→それに対する自分の返答の模索(思考)→自分からの返答→相手が受け取る
このような順序になると思います。無意識ではありますが、誰しも会話をするときには相手からの投げかけに対して一旦自分の中で咀嚼し、どのように返答するかを考えてから言葉を発しますよね。しかしながら、その時の私は、この「考える」という脳の機能が完全にストップして動きを停止してしまったのです。それ故に完全に外の世界との交流が出来なくなってしまいました。奥さんにも一方的に、この異常事態をまくし立て、携帯電話、会社の電話、その他の外の世界からの私へのアクションを全てシャットアウトしてもらい、とにかく休むことにしたのです。
結局、この症状は2~3日でおさまり、通常通り生活は出来るようになったのですが、その時の私は、これは完全に顕正会に疑問を持ったが故の罰なのだ。今まで幹部に対しても、顕正会の組織に対しても疑問は持ったが、こんな現証は起こらなかった。
これは御本尊様の肩に書かれている、頭破七分のお言葉そのままなんだ。もう顕正会に疑問抱くのはよそう!これ以上、疑問を抱けば命に及ぶかもしれない…。と真剣に思ったのです。そして、この「顕正会のいうこともこんなに間違っている。」という本はそのまま閉じたまま、家の本棚に埃をかぶったまま放置しておいたのです。
そして、この経験があったため、日蓮正宗の御住職様に折伏されて縁するまでの一年強、全く顕正会にも浅井会長にも疑問を抱くことなく信じ切っておったのです。
これは、顕正会の立場から見ると、完全なる罰でしょう。私もそう信じ切っておりました。しかしながら今、法華講員としての立場からこの現証を見てみると、これは正法につかんとする人間に対する、なりふり構わぬ強烈なる魔の働き以外のなにものでもないのです。
しかも、これ以上詮索させんがために、脳の思考停止という直接的な現証を持って邪魔をしているわけです。罰か、魔かどちらの解釈が正しいかはそれぞれの立場により見方は変わってくるとは思いますが、実際に体験した私としては魔以外の何ものでもないと実感します。
それは、この後の法華講員としての諸処の活動における現証の激しさからも、判断基準を顕正会におくのか、宗門におくのかの違いは明らかであるとの確信から申すものなのです。
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以上が旧ブログの記事です。
後日、精神的な面で病院に通われた経験のある方々にこの話をしたら、皆さん、
「トチロ~さん、それウツですよ。」
と言われました。
それ以前もそれ以降もこれ一度限りなのですが…。
いやはや大変な経験をさせていただきました。
最後に…、アイキャッチ画像のお花畑は単にかわいいからであり、私の頭の中がお花畑だということではありません…。
顕正会版日寛上人御本尊をお持ちの方へ
顕正会版日寛上人本尊は本物とは紙質が相違します。
顕正会版は現代の製法で作成される紙を使用しています。
昭和30年代当時の紙を再現するところまでは、さすがの浅井さんでも不可能だったのです。
コメント
カツエイが、下山さんは実は会員なんだとうれしそうに得意気に話していました。だから、下山さんは会長に感銘を受けて、途中から会員になったんだと思っていました。
カロリーさんへ
「私は創価学会のスパイだった」でしたか?そんな本を彼は昔書いていましたよね。
ペンネームも最後の一字しか変えてなくて…、そんな単純なことに現役当時は私も気付かなかったんですよ。
洗脳とは恐ろしいものです。
たまたま目にした文章
読ませてもらいましたが 前の私だったら浅井先生 顕正会の中傷に対し 憤りが込み上げていたかもしれませんが 今の私は 全然冷静で読むことが出来ました。
結果的に言うと
大聖人様と通じる縁が出来たかできないかが大事で
信心していて 頂く現象がすべてだと思っています。
わたしが思うに たとえ幹部であったとしても 魔が入れば 信心見失うんです。
私達は 凡夫ですよ!
上に立つ人が言うことが おかしい 間違ってると思ったら したがってはいけないと!
すべて信心の耳で聴きたてまつれと!
私達はつねに 人対自分でなく 大聖人様対自分だと思っています。
仏様が自身の命にやどると 何があっても大丈夫!
と思えるし 有り難いしかないです。
私の家は 元学会でしたが 今は顕正会で本当に良かったと思っています
すべては 大聖人様の御金言です
最後に 1番大事な時に退転されたんですね
HH様
コメント有難うございます。
元々学会に居られたとのことですので良くご存じかとは思いますが、日寛上人は自身の胸中に仏様が宿るための条件は「信」だと定義されております。(六巻抄や文段に書かれております。)
そして、この「信」とは戒壇の大御本尊様に対する信(法宝への信)、大聖人様への信(仏宝への信)、そして日興上人を始めとする歴代御法主上人猊下への信(僧宝への信)の3つが具わって、はじめて自身の胸中に御本尊様の仏界が映し出されるとされています。
上記3つはすべからく仏様としての御内証が存在するのであり、「それを信じれるかどうか。」が大事なんだということなのでしょう。
顕正会の歴史を振り返るとこの仏様の御内証を所持される日達上人に異議を唱え、その後も日顕上人にも散々暴言の限りを尽くしてまいりました。
すなわち僧宝への信が無い状態と言わざるを得ません。「真言見聞」の三宝一体の道理の上から見れば、僧宝を否定するという事はその他の戒壇の大御本尊様(法宝)や大聖人様ご自身(仏宝)を否定しているのと同じことになるのです。
この状態では自身の胸中に仏様が宿る(戒壇の大御本尊様と繋がる。)ということは理論上あり得ないのです。(これを否定するという事は日寛上人を否定することに繋がります。)浅井さんはそのことを隠して信心さえあれば仏様が宿るなどと演説しておりますが、大聖人様の御法門から見れば全くの嘘っぱちなのです。
先程メールを送らせて頂きました。
もし気が向きましたらお返事ください。
先日 義理の姉から 私のブログが載ってると言われ見ましたが
題名を見てビックリ
「私が顕正会だったころ?」
この題名で ブログはすべてが真実ではないことが分かり残念に思いました‼
私の気持ちの裏切りに痛感しています。
やはり 顕正会で間違いはなかったと思っております。
追伸
ブログの題名は正しく載せましょう
いっぱい御本尊あるのは、おかしいのでしょうか。
kr 様
コメント有難うございます。
顕正会の内部にいると、御本尊様の件に関しては特に詳しく知ることは出来ません(逆に教えてしまうと顕正会の崩壊につながるからです。)。
ゆえに会館が出来るごと、自宅拠点が新設されるごとに新しい御本尊様が出てきても何ら違和感を感じないわけです。
けれども日蓮正宗の御本尊様のいわれを知れば、顕正会が何故こんなに後から後から大量に御本尊様を出すことが出来るのかに必然と疑問が湧いてくるはずです。
そもそも日蓮正宗における御本尊様は「仏の当体」として全僧俗が認識しています。つまり、時の御法主上人が開眼されたものだけが仏様の魂を宿す御本尊様であると認識されるのであり、姿はそっくりでも学会が独自で印刷した御本尊や、当然のことながら身延で配布している御本尊には仏様の魂は宿っていないが故にそれを御本尊様として拝むことは一切しないのです。
顕正会に於いてもスタンスは同じはずなのです。ゆえに学会から入信してきた方の学会版日寛上人御本尊は学会へ返却するか、本部で預かったりするわけですよね?
その上で、正式に御法主上人猊下が開眼された御本尊様のみを拝んでいくという姿勢には破門以前も破門以後も全く変わりはありません。
つまり、大石寺に伝わる大聖人様の仏法においては御法主上人の開眼無く勝手に御本尊様を作って配布するという事は大謗法だということなのです。
顕正会もこの大石寺に伝わる規則に則って今までやってきています。
ですから、「顕正会の本尊は全て破門以前に指導教師であった松本日仁さんから預かったものであり、それ以外には勝手に顕正会で作ったりはしていませんよ。」というのが浅井さんの主張なのですね。
しかし、近年に至ってその松本さんから預かったと言われる数を大きく上回って自宅拠点に御本尊様が大量配布されているのは誰が見ても明らかですね?
これで結論は見えたと思います。
「大石寺に伝わる大聖人様の教えでは、御本尊様を勝手に作ってはいけない。」
「しかし、顕正会の浅井さんは勝手に作っている。」
「浅井さんがやっていることは地獄へ直結の大謗法なのである。」
ということなんです…、残念ながら…。
ですから、そんな本尊に手を合わせてはkamitari.reiko. さん御自身が破滅へと向かってしまいます。一日も早く本物の大石寺に伝わる大聖人様の仏法に触れて下さい。もし気が向きましたら、この記事の最後にリンクを貼ってあるメールフォームでご連絡下さい。
HH様
コメント有難うございます。
どの部分が真実でないと仰っているのかは分かりませんが、この記事も含めサイトに書いてあることは全てが事実に基づいております。ましてや私の体験談に関してはウソを書く必要性は微塵もありませんし、もし仮にこれが嘘にしか見えないならば、HHさんが顕正会で目にしてきたことは表面の一部でしかないと言わざるを得ません。(良い面しか見ていないならば、それはそれで幸せなのかもしれませんが…。)
なお、この記事の題名は「私が顕正会員だった頃のお話し。」としております。私が平成6年8月~平成16年1月まで顕正会に在籍していたのは紛れもない事実ですよ。何をもって嘘だと批判するのか理解に苦しみます。嘘だと思われるならば本部に問い合わせて頂ければ回答はあるでしょう。
私の個人情報は既にメールで送らせて頂いておりますから、照会は簡単なはずです。
最近、凶悪犯罪集団オウム真理教の幹部数名が死刑となった。オウム真理教の当時の怖さをテレビで見て、凄く顕正会と似てる!とゾッとした。自身も顕正会の先輩に暴言脅され、長年洗脳されてきた。家族は何度も手紙を書いてくれた。洗脳とは本当に恐ろしい!その世界から抜けれない。顕正会は偽物教義偽物本尊そして、恐ろしいカルト宗教団体、お金も取る取る取る!さすがに、オウムのようにサリンは撒かないと思うが、本当に今現在も!沢山の会員をだましてる!
邪教は消えろ様
コメントありがとうございます。
「オウムの事件の当時の怖さをテレビで見た。」ということは、邪教は消えろさんはまだまだお若いのですね…。私は麻原彰晃が逮捕される1週間前に初めて大石寺を見学しに行きまして…。
その際に河口湖から鳴沢を経由して向かったのですが…、オウムの第6サティアン(麻原の逮捕現場ですね。)のあった上九一色村の交差点には物凄い数の報道車両が詰めかけており、検問も数か所で行われていましたね…。その際に「どこへ行かれるんですか?」と機動隊に問われ、「大石寺です。」と答えたら、「どうぞ、どうぞ♪」とすんなり通してくれて、「世間でも日蓮正宗への信頼は厚いんだな…。」と妙な感心をしたのを覚えております。(これが「顕正会の〇〇事務所です。」なんて言ったらこうはいかないわな…と。)
それはそうと浅井さんも5月度の総幹部会で申していますが(顕正新聞平成30年6月5日号2ページ6段目)、当時はまさに「顕正会もオウムみたいなもんなんでしょ?」といった認識が世間にはありましたね。実際に中はそこまでは酷くないわけなんですが、組織によっては邪教は消えろさんの仰るようにあからさまにひどい組織も存在していましたし、顕正会にのめり込んでいく過程はオウムの信者さんたちとほとんど同じだったと今では感じますね。
オウムの事件をもっと深く検証していくと、顕正会の持つ問題点も表にハッキリとした形で表れてくるのではないか?と個人的には思います。
ところで邪教は消えろさんは今は法華講員として信仰を続けていたりするのでしょうか?
私は、長年顕正会で騙され、活動もしてきましたが、我が身にある事件があり、その事件が起こる前々から、顕正会にはもう限界!を何度も超えており、心は破壊されそうでした。そして活動を少しだけ休もう…もう暫くは会合も休もう!と決めた時から、ネットを初めて見て、元顕正会の人から話を聞いて、目を覚ましました!今は悪質顕正会と縁を切り日蓮正宗です。日蓮正宗にもっと早く来たかった。登山も何度か参加して本当に大石寺は素晴らしい!と感激です。
邪教は消えろさんへ
今は無事に日蓮正宗で頑張っておられるのですね、安心しました。
「心は破壊されそうでした。」とのことですが、そもそもこの信仰をしていけば「心が穏やかになる。」のが道理ですから、そういった観点からも顕正会のやり方は間違っているということになりますよね。
現在顕正会で頑張っている人たちも「心が破壊されてしまう。」前に一日も早くこちらに相談してきてほしいものですね。
今は日蓮正宗の信仰をしてますが、kとは違い清々しい気分です。僧侶の方たちは、浅井昭衛のクソじじいと違い丁寧に対応してくれます。浅井のクソじじいは小指を立てたり、舌をペロペロしたり下品な仕草でしたね?やはりkでは願いは叶わないのは当然ですよね?
元k会員F様
先日破門以前からの妙信講員だった方から昭和30年代初頭の顕正新聞をお借りしてきました。
その紙面では20代のころの昭衞さんの写真や活動の様子があちこちに拝見できましたが、目はキラキラしていてまっすぐにこの信仰に打ち込んでいるのが垣間見られました。
それより60年ほどが経ち現在の姿があるわけですが、
甚兵衛さんの死去
妙信講の名前を捨て顕正会と名乗り始めたこと
これらの時期を境に大暴走へと大きく舵を切ったかのように感じました。
現在は「人々を不幸にする教団。」へと大きく変貌してしまったわけですが、甚兵衛さんが生きていた時代…、少なくとも破門以前は「多くの方々を幸せに導いていた。」立派な講中であったのではないかと私は感じます。
僕もかつてはk会員でした。はっきり言って真面目に活動していたのに、ちっとも功徳が出ないし、集会なんかには無理矢理参加させられて?家は岩手ですが、集会は仙台会館で必ずでした。盛岡会館で集会をやらずにわざわざ仙台で開催するなんて、やはり退会する会員と言うか人が集まらないからなんでしょうね?それと浅井昭衛の態度がムカつく。あんな奴なんか先生なんて呼びたくもないです。あいつの話は安倍、野田両総理の悪口や揚げ足取りばかり?
岩手県在住元k会員Fです。僕はk会員だった時、母親が他界しました。その頃から父親が毎日のように、もう1人で置いておくのは心配だから、早く結婚しなさい!家庭を、伴侶を持ちなさい!と言い始めました。その頃からk活動よりも、婚活やお見合いに躍起になりました。その事を幹部のS副長に相談すると、そんな事を言うのなら折伏しなさい!お見合いじゃなくて婚活でもなく折伏だ!とね?折伏とはようするにk会員の勧誘活動と言う意味です。それを言うS副長も50歳過ぎで未婚です。そんな事を言う事は、k活動を真面目に頑張っても結婚すら出来ない!と言う事を認めている事ではありませんか?良く元旦勤行の願いは必ず叶う!と言われたので、必死に祈り、またk活動も頑張って来たのに、S副長を始め、浅井昭衛から騙されて来たんですね?今、父親が他界しあの時の父親が心配した気持ちがわかります。騙されて腹が立ちます。
元k会員Fさんへ
上記の「匿名」さんもFさんの投稿とお見受けしましたので、併せてお返事させて頂きますね。
顕正会で真面目に活動しても功徳が出なかったとのことですが、これは当然のことです。拝んでいる本尊からしてフェイクであり、日蓮正宗の信仰をしていると自分たちでは思っていても、本物の日蓮正宗僧俗から見ると「君たちのは単なる仏法ごっこだよ…。」と言いたくなる程度のものなんですから…。
顕正会を経験したのちに日蓮正宗に来られた方の大多数は、本物の功徳というものを日蓮正宗で初めて経験します。そのスケールと深さに改めて大聖人様の仏法の凄さを実感し、その後は顕正会での仏法ごっこに戻ろうという気持ちは微塵も無くなります。Fさんもお気持ちがあれば「本物」を一度体験してみてください。
次にS副長さんの件ですが、この方もある意味顕正会の被害者なんだと思います。
顕正会では「あと〇〇年で広宣流布する。」とあおってきますよね。それを真に受けた人は「あと〇〇年ならば、結婚も仕事も投げうって折伏活動に邁進しよう!」となるわけです。その心は「広宣流布して大功徳を得た〇〇年後に人生楽しめば良いじゃないか。」という発想なんだと思います。
しかしながら「〇〇年後に広宣流布する。」というのは昭衞さんが勝手に作ったゴールであり、過去にもことごとくそれらの約束は破られているのですね…。
貴重な青春時代を昭衞さんに奪われ、広宣流布の時も来たらず、当然のことながら大功徳で自在を得た境界にもなっていない…。何処に怒りをぶつければ良いのか分からず途方に暮れるオジサン、オバサンになってしまった哀れな姿だけが彼らが得られるものなのです。本当に気の毒なことだと思います。
特に女性は輝ける時間は少ないわけですから、その貴重な時間を大事にしてほしいですよね。
盛岡のある女子部区長が、女子部員達に結婚なんてしなくても良いから、折伏しなさい!と言ったそうですが、それに関する同修証義が起き、盛岡会館 からの退会者が続出したそうです。また上記のS副長の高校の同級生、Sの縁で入信し熱心に活動してたそうですが、Sと喧嘩して退会したそうです。公に発表している数はデタラメで、実際には広宣流布なんてしてないようです。
結婚から四半世紀(25年)を経て銀婚式を終えた私の率直な意見としては、
「結婚は良いことばかりではありません…、忍耐です。」
といったところなのですが…、家庭を持ち子供を育てて初めて親のありがたみを知ったというのも真実であり、結婚ばかりが人生ではありませんが、適齢期を迎えてそのような相手方がいらっしゃるのなら結婚されて色々と学んでいくこともまた必要なことではないかと思います。
それを第三者が勝手に「結婚は悪だ。」と決めつけて他人の人生の選択肢を狭めてしまうのはやはりいけないことだと思うのです。
まともな若者が顕正会を離れていくのは必然なのでしょうね…。
岩手県在住、元k会員Fです。僕はk会員を10年位やってて嫌気をさし、今は日蓮正宗に入信しました。k会員だった頃の話ですが、僕の上の幹部S副長は、やたらに折伏、折伏と尻を叩いて来ました。正直言って僕の周りで、みんなが悩んでいる事と言えば、結婚出来ない!と言う事ばかり?またその親達もそれを一番心配しているようです。はっきり言って僕の親もそれを心配していたんだな?と今、つくづく思います。はっきり言ってそれを悩んでる人に、自分も未婚で悩んでいるのに、そんな事を勧められますか?はっきり言ってk活動は詐欺だと思い、折伏なんてやる気もなくなりました。僕が人に勧めたら、嘘付きのペテン師になってしまいます。どうですか?僕が考えている事は間違ってますか?S副長はやみくもなしに、折伏、折伏と尻を叩く?いつだったかS副長は、F君、奥さんが欲しいだなんて言わないでね?とか、お見合いも婚活なんかしてるんだったら、ひたすら折伏だ!なんて言いました。S副長は真面目にk活動をしてても結婚なんか出来ないよ。と言ってSから騙されてきたように感じます。それとk新聞がくだらない新聞なので、読む気をなくしました。いつもSから、新聞持ってけ!溜まってるぞ!と言われて渋々持って行きましたが?僕は大学が経済学部を卒業したので、日経新聞を熱心に読んでいましたし、株式投資が趣味です。日経新聞は本当に面白くて、他の新聞がつまらないです。Sは株なんてやってたって、紙切れになるだけで、駄目だ?ご奉公をしろ!と?株式投資は本当に駄目なのでしょうか?Sは浅井昭衛に洗脳されているみたいです。父の他界後、僕は仕事が出来なくなり、株式投資で生活費を捻出してましたけど?それとk新聞が馬鹿馬鹿しくて読む気なくなりましたが、実際にk会の誤りと言う本を読んで、尚更そんな気が強くなりました。
元k会員F様
顕正会では大変な思いをされたのですね…。
一つ一つにお返事をしたいところですが、他寺院の私がFさんに信仰上のアドバイスをするのは越権行為になりますので差し控えたいと思います…。
上記の悩みはFさんの所属寺院の御住職様にご相談して指導を仰いでみてください。
顕正会時代とは違った幸せな日々が訪れると良いですね。
こんばんは。
最近顕正会に入会した学生です。
集会の体験発表で凄く不思議な体験談を聞きますが、トチロ~さんは入会してからそういった体験や出来ないことが出来るようになったことを感じることはあったのでしょうか。
下手な文章ですみません。
さとさん、はじめまして。
すごく純粋なコメントを有難く思います。
私が顕正会に入ったのは平成6年でしたから、かれこれ四半世紀も前になりますね…。最近は折伏していても何を話していたのか忘れてしまって、折伏対象者に「いま、私どんな話をしていたんでしたっけ?」なんて聞いてしまうほど記憶力がヤバくなっているのですが…、一生懸命思い出してみます…。
当時私は不動産の営業マンでした。長男も生まれたばかりで将来に向けて計画的な仕事と経済の基盤を作ろうと常々考えていました。
そんなおりに顕正会に入り、それから半年後に一念発起してサラリーマンを辞め、独立自営の道を歩み始めました。当時は26歳でしたから、同年齢の友人たちの年収も300~400といったところでしたが、私はいきなり1000万の大台に乗り有頂天になりました。
「この仏法ハンパねぇ…。」
なんて震えたものです。しかし、それはあくまでも魔の通力だったことがその後分かりました。時はバブル崩壊から数年後でしたが、経済は年々落ちる一方で、私のような零細企業はそのあおりをまともに受けていきました。
少なくなる収入を仕事量でカバーしようとして無理をして体を壊し、収入も恥ずかしながらワーキングプアと呼ばれるところまで落ちました。正直言って生活保護を受けている人たちの方が私より良い生活を送っている…。そんな状態だったのです。
そんな時に縁あって大石寺の信徒となりました。顕正会の曲がった心で作られた当時の生活環境(仕事の取引先等)でしたので、それを一旦全て清算し、正しい御本尊様によって正しくなった心で一つずつ環境を整えていきました。
それから15年が経とうとしておりますが、今はしっかりとした基盤が整い、何の不安もございません。
さとさんもまだ顕正会に入られて日が浅いようですから、この機会に「本当の大聖人様の仏法とは何なのか?」を今一度お考えになってはいかがでしょうか?
大聖人様の仏法自体は本当にすごいものなんです、けれども正しく行じていくことが何よりも大切なんですね。
私でよろしければ、そのあたりを詳しくお話しさせて頂きますので、気が向きましたらご連絡くださいませ。
https://kenshokai.org/tochiro-mail/